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1970年生まれ、戌年、独身。現在は東京・墨田区のかたすみで柴犬女子ダイアナ(2017年生まれ)と暮らしています。*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*↓ 以下、プロフィールです (2025.10月更新)↓*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*私の半生は、少し“愛”に欠けていました。50代になって、やっとこれまでの自分の思いを少しずつ紐解けるようになってきました。やっぱり人生、何よりも“愛”だよ。これからの私の成長が楽しみです。【5歳手前で父急逝】父と触れ合った記憶があまりないのでこの時の記憶も当然ないのですが、恐らく、父亡き後の母親の変化を感じ取り、子どもながらに気を使って生きていたと思います。私が持つ父の記憶は2つ3つの切り取り画面のみ、それ以外は父の職場の同僚や当時の私の友人の親御さん、そして親戚などの話から想像する映像で作られています。父を突然亡くした事で、母は最愛の夫からの愛、そして子供たちである私と兄は親からの愛が少し欠けてしまいました。結果、大人になった私も兄も、ちょっとクセのある生き方をしています。愛の欠乏が大人になってからどう影響するのか、身をもって体験していると言えるでしょう。私にとって父は、特別な存在です。兄が居ながら、父の生前の仕事(新聞記者)について(昔話や当時の記事など)、何故か私に届けられることが多くかったり、当時の部下の方々と未だに連絡をとっていることなど、父が上で操作しているような気がしてなりません。【中学までは優等生】学級委員や部活の部長、生徒会役員なども務める、近所でも評判のいい子。でもどこかに心の隙間を持っていた。イタズラっぽいことは沢山してました。時代だと思いますが、生徒会役員が集まってお酒飲んだりもしたっけ。小学校のの時は確かに楽しかった半面、寂しさもありました。学校では虚勢を張っていたかもしれない。家族に言えなかった、身体的にイヤな経験もしました。追ってどこかで書けたら読んでやって下さい。【高校・短大は好き放題】特筆することはさほどないですが、やはりどこか愛が欠けてる、不器用さをもって生きていました。見えない何かに必死でしたね。高校のクラスメイト、バンド仲間、そして当時のバイト先の仲間とは良い付き合いをさせてもらいました。夢も希望もあったけど、どうしてか諦めが早かった。「どうせ私にはムリ」が、何故かどこかで発動してた。がむしゃらだった私に刺激を受け、どんどん先に進んでいって花を咲かせた友人が、少なからずいます。踏み台女子でした。【愛に渇望していた20代】愛情に渇望していたのでしょう。お付き合いできても、相手とちゃんと向き合うことが出来なかった。途中で逃げてしまったり、ほかの人に乗り換えてしまったり…。「好き」以外の喜怒哀楽の思いや何気ない感情を、男性に対して言葉にすることが苦手でした。いつも構ってくれる相手がいたのに、分かっていながら寄られると逃げて、そのうち彼は別の彼女と結婚しました。その時は「ふ~ん」って感じだったけど、その後も時々会うという関係性が続いていたという事は、あの時、実は私も彼を好きだったんだと、コロナをきっかけに会わなくなってやっと気がつきました。理由が分かったらモヤモヤは消えて、もう過去の話。よくよく考えたら20年も引きずってたのは、さすがにタイムロスですね。でもその間もいろいろやっているので…、ま、20代はそんなもんでしょう^^;【“自分のこと大嫌い”と豪語していた30代】仕事は色々していましたが、主に人間関係に病んで会社を撤退することが多かったです。男性関係がもとで、第三者の方から後ろ指をさされたり憎悪の念を浴びせられたり、ちょっとドロッとしてました。仕事に対しては頑張り屋さん。でも頑張り屋さんって、つまり出来ないからそうなるんだけど、それを認めることもできなかった。むしろ「頑張らないで何が悪いの?」「頑張らなきゃいけないんじゃないの?」「なんで頑張らないの?」「肩に力入れて生きなくてどうすんの?」そう思ってました。何が悪いのか全く分からず、ただただ必死に働く。そしてそんな自分が大嫌い。どういうこっちゃ。イタすぎる。ただただ“人に認めてもらう”事が是だった私は、30代後半で気づけば適応障害になり、会社を飛びました。もうひとつ言うと、不倫相手の上司のパワハラとDVが軸。当時の勤め先の母体がデカかったお陰でカウンセラーの助けがあり、弁護士に相談、公正証書のやりとりをして、正式に会社をお暇しました。集団活動、大衆・組織の中に身を置くことが苦手なんだとここでやっと気づき始めます。周りの目が怖い、もすごく気になる人だと知ったのもこの頃。因みにこの騒動が起こる前に、母は他界。孤独感をもって生きていたからか、独りになる寂しさは殆どなかったな。【自分と向き合い始めた40代】心を壊し『食べ物が体を作る』ことを意識し始めた頃。震災後、知人を頼って田舎暮らしをして無農薬のおコメを育てたり、目に見えない世界に興味を持ち始めたり。新しい生き方を模索し始めた頃です。田舎暮らし―自然という環境に包まれる心地よさは、決して便利ではないことを含め自分に合ってはいましたが、田舎もある意味“組織”。行動を見られているのも辛かった。外向けにいい顔してる自分が何よりしんどかった。恋愛も相変わらず利他的。田舎暮らしの前に数年務めた小さな会社では社長の遊び相手に。ピルを強要され苦痛だったけど、相手の小さな権力を恐れてNOと言えなかった。田舎で言い寄ってきた男性がいました。「根本的にムリ」とどこかで分かっていながら「この人を好きになってみよう」としたけど、トーゼン無理。「愛せない」と言ってお別れ。【40代後半】5年ほどで田舎をあとにして、東京近郊都市へ。田舎でやりたいと思ってたことに踏み出す勇気がどうしても出ない。そんな自分を解明するために、あるセラピストのもとを訪ねます。出だしは好調。セラピストの女先生に「いい子」だとお目付けいただき、じきにその方の下で勉強させていただく流れだったハズが、気づいたら軟禁・パワハラ状態。色々怖くなったので過去の経験を踏まえ、弁護士の盾をお借りして、逃げました。でもここで、親が残してくれたものを一気に失ってしまいました。ほんの1年くらいだったのでは。女性からの仕打ちも私にはかなり拷問でした。そして自分も弱かった。辛うじて守ってくれたのはお金でした。私の人生の底が、この辺りで見えてきます。“自分のこと大嫌い”さんは自分と向き合うこと、本当の自分を知って、受け入れて、許して、認めて、愛することに大変時間がかかっています。そしてこの作業は、たぶん死ぬまで続いちゃうかもしれない。ここまできちゃったから覚悟はしています。煮え切らない40代を過ごしていましたが、大切な出会いにも恵まれました。40代で出会った初代柴犬 “ダイ”そして二代目柴犬 “ダイアナ”この犬たちとの暮らしが、私の人生に大きな変化をもたらしてくれました。ダイとの付き合いは2年ちょっとしかなかったけれど、彼はその分、大きな気づきとたくさんの愛をくれました。その次に出会ったのがダイアナ。彼女も私の事をたくさん助けてくれています。今の私に一番身近な自然が『犬』。そして私にとって『犬』は、『バディ』。多くの人が、結婚や出産で自己の成長や学びを得るのと同じく、私は、犬との暮らしの中にそれがあるようです。実は二代目のダイアナは、ペットショップで件のセラピスト先生が目をつけ、私に勧めてきたのでした。「犬をお金で買うなんて」その信念を曲げてしまう屈辱感を持ちつつ、そして先代が亡くなってまだ1年足らずで傷も癒えていない、複雑な気持ちのままダイアナを迎えたのですが、この事だけは(笑)、セラピスト先生に本当に感謝しています。【人生リスタートの50代】私の50代はコロナでスタート。家にいるのが好きな私でも、この時期を果たして私ひとりで乗り越えられただろうか…。ダイアナがいたから、必ず外に出られた。道行く人と声を交わせた。彼女が居てくれたから、大きなストレスなく過ごせました。ご家族をコロナから守るために様々な苦労を皆さんががされている中、私の両親は既に他界しているという事が、私は逆に親が助けてくれていると思ってしまいました。そしてこの時期、私はとあるリハビリを試みます。社会復帰。近所の民間学童の送迎スタッフとして働き始めます。民間学童、小さな世界。ましてや車の中が仕事場。「小さな世界だから大丈夫だろう」そう思って始めました。今の教育現場を垣間見ることができ、色んな子ども達と出会えたことは、大変大きな財産となりました。送迎に限らず、ひと通りの業務を体験させていただけたのも価値あるリハビリで、大変ありがたかったです。―でも、どんなに小さくても組織は組織。私には「しんどい」と思える対応や小さな疑問が多すぎ、それを我慢することは、私にとって苦痛以外の何物でもなかった。なので辞めました。今はダイアナが大好きな散歩の時間を確保するために辿り着いた、近所の人気ラーメン店のお手使いを軸にして唯一十数年続いている音訳業と、一対一の関係で向き合える子育てサポーターという少々薄めのわらじを履き替えながら、ヒリヒリした生活を楽しんでいます。【その他私の特徴(補足として)】・不自然なことが嫌い・結婚・出産願望がない。でも恋愛対象は男性 (若干トランスジェンダー)・子ども大好き・集団、特に女子の集団が苦手(女子会は3名までが限界)どうぞよろしくお願いします。ありがとうございます。ミチコ
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アラフィフ
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