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<プロフィール>金融マンとしての憧れのウォール街(私以外 全員白人という会社でした)で勤めていたある日、オフィスに行くと、自分のデスクの上は消しゴムのカスだらけ。足元のゴミ箱もゴミだらけ。周りを見ると、同僚数人がニヤニヤしながら私に向かって輪ゴムを飛ばし始めました。いよいよ分からなくなり、『なにごと?』という表情を浮かべていると、同僚の一人が『今日はなんの日か知らないのか?パールハーバーの日だ!』というのです。また、『レイチェル(私がいた部署の唯一の女性社員)のおじいさんはパールハーバーで殺されたんだ。謝ってこいよ!』と言われました。そこにアメリカ人が20人近くいると、『今日はしょうがないよね』という雰囲気でした。仕方なくレイチェルの所へ行き、『正直、日本人だからといって、こういう事をしなければならないかは理解できていない。だけれども、君のおじいさんが亡くなったことについては、悲しいことだったと思うよ』と伝えました。すると、彼女は立ち上がり、『彼にこんなことをさせたはのはだれよ!』と周りにいた同僚たちを一喝しました。そして、『気分の悪い思いをさせてごめんなさい。今度、クリスマスにホームパーティをするから、良かったら来て!』と言ってくれました。アメリカ人も様々だなと思いました。それと同時に、『日本人はなぜ、こんな風に思われているのだろう?」と悔しくなり、ボストン大学MBA留学時代に、日本の近現代史を学ぶために『アジア国際関係学』を学びました。そして、日本とはなんと誇らしい国だろう。我々の先輩たちはなんと素晴らしいんだろうと思うに至りました。卒業する1999年暮れは、アメリカはITバブル絶頂期で、MBAの学生は引く手あまたでした。一方、日本は山一証券や北海道拓殖銀行など、金融業界を中心に経済の氷河期を迎えていました。アメリカで就職すれば、年収2000万円は下らない状況でしたが、その頃には『日本のためになにかしたい!』という思いが強くなっていたので、帰国しました。それ以来、視野だけは国家レベルです。【1995年】 通貨オプション・ブローカーとしてウォール街からヘッドハント。しかし、渡米直後は振るわず、日々解雇の恐怖と闘う。人種差別にも遭い、大和魂に火がつく。【1998年】 自費で1000万円貯めて、ボストン大学MBAに留学。アジア国際関係学を受講し、戦前の日本の歴史を学び、日本人としての誇りを持てるようになる。【2000年】 ITバブルに沸くアメリカに対して、日本経済は金融機関を中心とする氷河期。MBA卒としては、アメリカに残る方が有利だったが、『日本のために何かをしたい』という思いが強くなっており帰国。以来、視野だけは『国家レベル』。東京三菱銀行(現三菱UFJ銀行)に通貨オプション・ディーラーとして入行。同年、Bloombergへ転職。通貨オプション評価ツール開発 日本代表を務めた。【2005年】独立。関西大学 大学院講師をはじめ、金融機関での講師を多数歴任。【2009年~】 書籍執筆を中心に活動。『FXノート』(ダイヤモンド社)がベストセラーに。【2013年~】 個人投資家に向けて、証券と保険を組み合わせた【証券×保険】二刀流 金融コンサルティングをスタート。現在に至る。『日本を世界一の投資大国にして、日本の未来を明るくしたい』思いで、日々奔走中。
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