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1968年1月茨城県水戸市上水戸生まれ元吉田育ち1986年4月高校を卒業後二輪ロードレースを始めるアルタミットレーシング同年チーム体勢ごとチームクリーンに移籍筑波選手権SPⅡクラスランキング4位ヤマハTZR250スポンサー様YSP市川西・ブリヂストンタイヤ・SS-ISHII1987年チームクリーン筑波選手権SP250クラス-年間ランキングチャンピオンヤマハTZR250スポンサー様YSP市川西・ブリヂストンタイヤ・RC-KOSHIEN・LOOK・和光ケミカル・イーグルジャパン1988年チームクリーン筑波選手権GP250クラスランキング6位ヤマハTZ250筑波選手権FⅢクラスランキング8位だったような…ヤマハTZR250改ヤマハFZR400R-sp改スポンサー様YSP市川西・ブリヂストンタイヤ・SS-ISHII・LOOK・setaヘルメット・和光ケミカル・イーグルジャパン1989年ジュニアクラス(国内A級)に自動昇格RS-CORSAに移籍全日本ロードレース選手権GP250クラス参戦ランキング?何位だったか記憶なし…ヤマハTZ250スポンサー様レーシングサービスコルサ・ブリヂストンタイヤ・SS-ISHII・FORHEAD・アルパインスター・イーグルジャパン・setaヘルメット・スクリーンクラフト・BP・NGK・RKチェーン1990年エキスパートレーシング・チーム明光KenAraokaに移籍全日本ロードレース選手権国内A級GP250クラスランキング6位ヤマハTZ250スポンサー様モトショップエキスパート・ヤマハ発動機・ブリヂストンタイヤ・クシタニ・アライヘルメット・スクリーンクラフト・BP・MOTOBUM・NGK・RKチェーン1991年国際A級に自動昇格エキスパートレーシング・チーム明光KenAraoka全日本ロードレース選手権GP250クラスランキング28位?だったような…ヤマハTZ250スポンサー様モトショップエキスパート・ヤマハ発動機・ブリヂストンタイヤ・クシタニ・アライヘルメット・スクリーンクラフト・二輪館・BP・MOTOBUM・NGK・RKチェーン1992年エキスパートレーシング・チーム明光KenAraokaヤマハTZ250スポンサー様モトショップエキスパート・ヤマハ発動機・ブリヂストンタイヤ・クシタニ・アライヘルメット・スクリーンクラフト・BP・MOTOBUM・NGK・RKチェーン同年シーズン途中で、YAMAHAからの要請によりワークスサテライトチームのプレイメイトレーシングに移籍ドライバーズスタンドレーシングチーム全日本ロードレース選手権GP250クラスランキング18位ヤマハTZ250スポンサー様ドライバーズスタンド・ヤマハ発動機・ダンロップタイヤ・日本石油・FORZA・ショウエイヘルメット・NGK・DIDチェーン1993年プレイメイトレーシングチーム全日本ロードレース選手権GP250クラスランキング?ヤマハTZ250スポンサー様ヤマハ発動機・ダンロップタイヤ・日本石油・FORZA・ショウエイヘルメット・NGK・DIDチェーンこの年の最終戦を最後に二輪を引退最終ランキングを見てないのでランキング順位解らず…1994年四輪チューニング業界に入る。オノエンジンワークス入社1995年オノエンジンワークスを退社し柴山タイヤ商会入社テクニカルショップ柴山に配属1996年テクニカルショップ柴山店長就任1997年営業所名をテクニカルショップ柴山からテックスモディファイに変更1998年HKSドラッグ全国大会にて、シルビア180SXクラス関東代表選抜で、代表8台を選抜するトーナメントにて5台が勝ち残る1999年HKSドラッグ全国大会、シルビア180SXクラス関東代表選抜で、代表8台を選抜するトーナメントにて5台が勝ち残る公式タイムとして初のシルビア180SXクラス10秒台を、当社制作車両が連発して記録同、全国大会にて優勝シルビア180SXクラス日本一になる。日産180SXCA18DETドライバー○健太郎2002年ドリフトのD1グランプリ参戦開始チームオレンジ田中一弘選手S15シルビアを制作及びメンテナンス。そして、現地メカニックも行う。同年、ドラッグスリックタイヤでのGTクラス参戦開始日産180SXCA18DETドライバー○健太郎2003年D1グランプリチームオレンジとして参戦。田中選手S15シルビア同様、熊久保選手S15シルビアのエンジンマネージメント、セッティングも兼任する。2004年?CA18DETエンジンのNOS無しで、9秒369ドライバー○健太郎2005年D1グランプリチームオレンジ田中一弘インプレッサを制作。継続して、メンテナンス及び現地メカニックを行う。同年、8秒台を目指すべく、エンジンをSR20DETベースに変更2.2L、T88-38GK、NOSのパッケージングにパワーアップし、アメリカジェリコ社製エアシフター5速ミッションに変更、制作のためドラッグレース参戦活動休止2006年仕様変更が完了し、パワーアップを達成するがそのパワーが有りすぎて足回りとタイヤのグリップが追い付かず、9秒045ドライバー○健太郎2007年柴山タイヤ商会から独立ドラッグレース参戦活動休止2008年エンジンを2.2L、T88-38GKから、2.1L、T88-34Dにパワーダウン足回りの開発に専念した結果2000ccエンジンベースのストックボディーとしては、日本初の8秒台8秒964にて、日本記録樹立ドライバー○健太郎2009年ドラッグレース参戦活動休止2010年エンジンは2.1Lのままで、タービンをT88-38GKに戻しパワーアップ。JDDA最終戦にて、スタートしてから300m地点でヘッドガスケット抜けでボンネットダクトから冷却水が吹き出し、スロットルオフのままゴール。タイムは、日本記録をさらに積める8秒765ドライバー○健太郎いつもはゴール地点で255キロオーバーの終速なのだが、今回はエンジントラブルのアクセルOFFで終速223キロでのゴール。ヘッドガスケット抜けの他はピストンやバルブの損傷が全く無かったので、次年度に期待しつつ迎えた2011年震災…仙台ハイランドドラッグコースは路面がうねってしまい、200mの計測までしかできないので参戦を断念している。
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