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ある日、供養の最中に神さまが体に降りてきて習ったこともない日本舞踊を舞い始めました……その時に初めて神さまと直接お話をしたのが、私の審神者(さにわ)の始まりです。はじめまして。サイキックミディアム(超霊的霊媒能力者)&審神者(さにわ)の、えのきゆうです。霊媒として目覚めて30年以上、お仕事として始めて約25年になります。父方は霊媒家系。母方もこの世の理から少しはみ出した人たちの集まりで(笑)祖父は危機回避能力で何度も災難をギリギリでかわして生き延びてきた人で、幽体離脱もバンバンする人。祖父だけでなく祖母も親戚も母も皆、理屈ではなく直感で生きてるタイプばかり。その中でも母はとりわけ信心深く、先祖の供養や懺悔参りといって、姉と私を子供の頃からよく神社参りに連れて行っていました。そんな家庭で育った私たち姉妹は、日常的に不思議な体験をしていました。姉は祖父譲りで幽体離脱をよくしていたし、私も神社に行くと境内の奥に神さまがいるのが視えたり、寝ている時に幽霊が来たり。見えない存在の話になると、うちではめちゃ普通に盛り上がる。だから私の能力は隠すことも否定されることもなく、そのまま育ちました。この道で生きていこうと決められたのは、母と家族が私のいる場所を当たり前のものとして受け入れてくれたからです。けれど、周りの人すべてに受け入れられたわけではありません。直感で生きている私たち家族は「変人」「おかしな人たち」という扱いを受けることもあって。だから一歩外に出ると、できるだけ「普通」を装っていました。人の気持ちがわかり過ぎて、困っている人を自分のキャパ以上に自己犠牲的に助けようとしてしまう。そこを利用されて、損な役回りばかり引き受けることも多々ありました。無意識にやってしまうので、自分でも止められない。若い頃は、この共感能力の高さ、いわゆるエンパス体質にずいぶん苦しめられて、人間関係に苦労しました。家庭のほうも、穏やかではありませんでした。父は同じ霊媒でも「憑依されるタイプ」で、自分ではコントロールができない人。姉と私がまだ幼い頃、母が私たちを連れて家を出ました。そのあと預けられた親戚の家でも居場所がなく、幼少期に良い記憶はほとんどありません。でも今は、これも必要だったのだと思っています。困難があるからこそ能力は開きやすいと言われていますし、そういう人生を無意識に選んで生まれてくるらしいので。まあ、仕方ないですね(笑)自分が【霊媒】だと知ったのは、第一子を妊娠中。初めてはっきりとした霊的コンタクトがありました。自分の意識ははっきりしているのに、別の存在が私の体内に入ってきて、体を勝手に動かす。しかもその存在の感情や意識まで、全部自分のもののように感じ、理解できてしまう。その瞬間に、ああこれか、と。そこからは、凄い能力者だったご先祖が守護霊としてそばについてくれていることがわかり、彼のサポートのおかげで、高次元の存在やいろんなスピリットたちと普通に話すようになりました。霊的霊媒能力は、そのやりとりの中で伸びていった感じです。最初は家族や身近な人のご先祖、還る場所を見失った魂たちの供養を無償で何年か。そのあと2002年に退行催眠療法を学び、高次元のエネルギーヒーリングも取り入れて、プロとして始めました。お仕事で供養をするたび、スーパー守護霊であるご先祖さんに手伝ってもらっていたのですが、ある時、神さまが体に降りてきて習ったこともない日本舞踊を舞い始めたんです。その時に初めて神さまと直接お話をして、それをキッカケに、神仏へ直接コンタクトを取らせてもらうようになりました。それが、私の審神者(さにわ)の始まりでした。━━━━━━━━━━━━━━■ 歩み━━━━━━━━━━━━━━◆ 2011年 独立開業。独立したものの自分の身体を使って不成仏霊を供養するやり方に、だんだん限界を感じるようになっていきました。ただ供養するだけが私の役目じゃない気がする。もっと他にできることがあるはずだ。根拠はないけど、確信だけはありました。でもそれが何なのか、この時点ではまったくわからない。わからないまま身体だけが削られていって、最後は半ば自暴自棄になって、休業しました。◆ 2015年 シータヒーリングと出会い、家族や身近な人に教え始める。同時に、降霊術は封印。シータヒーリングは、最初は自分自身が癒されたくて始めたものでした。以前から「霊視や霊能力を習いたい」と周りに言われることがあって、でも(霊能力って備わったものだからな……)と思っていたんです。それがシータにはマニュアルがある、と知って。これなら教えられるかもしれないと、まずは家族や身近な人に教え始めました。◆ 2016年 ヒーリング&スクール「ソウルズ」を高松市にオープン。インストラクターとして本格的に活動開始。でも、マニュアル以外のことをしようとすると、周りのインストラクターから注意や指摘をされるようになって。本来持っている能力を思い出すための「ツール」のはずが、制限だらけ。私が過去にやってきた手法まで否定されることもあって……組織ならではのルールの中で、現実を知ることになりました。私が本当にやりたかったのは、インストラクターじゃない。ここでもまた限界にぶつかって、足が止まりました。止まったまま過ごしていた時に、アクセスコンシャスネスを通して私に大きな変容が起こったんです。それから、シータヒーリングを始めてからすっかり疎遠になっていた神社仏閣へ、また母と一緒に足を運ぶようになりました。◆ 2020年 神々との対話の中で啓示を受け取り、降霊術を解禁。サイキックミディアムとして復帰。最初は京都の鞍馬山。神社仏閣なんて、5年以上ぶりだったと思います。鞍馬寺は母のリクエストで初めて訪れたのですが、行ってみたら、神さまが座っているのが視えて。失礼がないようにご挨拶をしたら、「しばらく通ってくるように」と。そこから12回、通いました。すっかり仲良しです(笑)そのあと、また偶然、初めて伊勢に行くことになって。行ったついで(失礼)に伊勢神宮へ寄ったら、そこにもまた神さまがいて、大きな気づきをもらいました。その直後に訪れた出雲大社では、大国主の神さまが、当時は名前も知らなかったのですが(汗)「降霊術はもうやらないのか?」と、私に思い出させてくれたんです。そして須佐神社で、須佐之男命に降霊術復活の相談をしたら、私の体に降りてきてくれて。完全復活でした。◆ 2020年 節分 高熱で伏せていた夜、あまりのしんどさに、高次元のマスター・サナトクマラに来てもらいました。初めて、自分のためにヒーリングをお願いしたんです。そうしたら、物凄い癒しが起こって。これがキッカケで、オリジナルセッション【光のワーク】が始まりました。━━━━━━━━━━━━━━■ 資格・学び━━━━━━━━━━━━━━【2002年】前世療法の国際的専門団体 Int'l Association for Regression Research and Therapies, Inc. 会長 トリシア・カエタノ女史に師事。Int'l Institute for Past Life Regression Therapy & Training / Inner Child Integration Therapy & Training 両クラスのトレーニングを受講、ディプロマ取得。【2013年10月】内閣府特別の機関 日本学術会議協力学術研究団体 メンタルケア学術学会認定 メンタルケア心理士 取得。【2015年11月】アクセスバーズ プラクティショナー/ボディプロセスクラス受講。【2016年7月】シータヒーリング マスター(USA)。【2016年9月28日】ヒーリング&スクール「ソウルズ」を高松市にオープン。【2016年10月9日】一般社団法人日本プロカウンセリング協会 2級心理カウンセラー認定。【2017年9月】シータヒーリング サイエンス(USA)。【2020年10月】アクセスバーズ ファシリテーター。▶ 光のワークについて(準備中)
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