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🥊 新宿スポーツジムのご紹介2007年オープン、東新宿駅から徒歩2分新宿スポーツジムは、2007年のオープン以来、キックボクシングを通じて多くの方の健康、夢、目標達成をサポートしてきました。初心者からプロ志望まで、年齢・性別・国籍を問わず、どなたでも安心して通えるジムです。当ジムの特徴初心者歓迎・未経験大歓迎 運動が苦手な方も、基礎から丁寧に指導します。入会金・事務手数料 無料 初期費用ゼロでスタート可能。道具貸出無料 グローブ、レガース、ヘッドギア、着替えまで無料。予約不要 営業時間内に直接来てすぐ練習OK。夜遅くまで営業 平日は翌1時まで。仕事帰りや夜型生活の方にもピッタリ。自由な雰囲気 タトゥー・ピアス・ネイル・整形もOK。目的に合わせた練習 ダイエット、運動不足解消、護身術、試合出場まで幅広く対応。営業時間平日:15:00〜翌1:00土曜:18:00〜23:30日曜:定休日料金(一部抜粋)ビジター・体験(60分):4,000円通い放題(オールタイム):月18,000円昼・曜日限定会員:月10,000円回数券(10回):30,000円(有効6か月)グループ割最大50%OFF👤 代表 RIKIYA プロフィール新宿スポーツジムを作った理由2007年、私は「強くなる場所」ではなく「強くなれる場所」を作りたいと思い、このジムをオープンしました。強さはパンチやキックの威力だけではありません。自分に負けない心、仲間を思いやる心、挑戦を続ける勇気——それこそが本当の強さです。RIKIYAが大切にしていること誰でも平等にリングに立てる環境初心者が安心して通える雰囲気強さと優しさの両立格闘技を通じて人生が豊かになる経験ジムで叶えたいこと私の夢は、このジムを通して多くの人の人生を前向きに変えることです。ダイエットで自信を取り戻した人、試合で夢を叶えた人、健康を取り戻した人——その全ての瞬間に立ち会えることが、私の誇りです。最後に新宿スポーツジムは、あなたの新しい一歩を全力で応援します。不安でも大丈夫。運動経験がなくても大丈夫。ここには、支えてくれる仲間と笑顔があります。まずは見学や体験から、お気軽にお越しください。あなたの挑戦を、私たちは心から歓迎します。RIKIYA物語第一章 力という名のはじまり雪がしんしんと降る北海道札幌市。その夜、小さな命が産声をあげた。両親は赤ん坊を抱きながら、互いの目を見つめ合い、名前を決めた。「力強く生きてほしい」──その願いを込め、名はRIKIYA。その音には、両親の未来への祈りが確かに宿っていた。だが、幼い私の身体は、その名に似合うほど強くはなかった。母はシングルマザーとして昼も夜も働き詰め。家に帰ると、夕飯を作り、また夜の仕事へ向かう。私は、母の足音が遠ざかると静まり返る部屋でひとり、窓の外の雪を見つめていた。レゴや積み木、パズルは私の友達。喘息を抱えて外で駆け回ることはほとんど叶わず、週に何度も病院へ通っては点滴を打った。天井を見つめ、ただ終わるのを待つ。そんな私に力をくれたのは、テレビの中の戦隊ヒーローや特撮ヒーローたちだった。彼らは仲間を守り、地球を救う。「地球の平和を守るヒーローになりたい」──その憧れは、いつしか「強くなりたい」という目標に変わっていく。第二章 最初の挫折小学4年生、テレビで見たプロ野球選手に憧れて少年野球を始めた。白球を追う日々は楽しく、母も嬉しそうに私を送り出した。しかし、小学6年で両膝をオスグッド病に患い、中学3年間は運動禁止。さらに学校にも行かなくなり、不登校になった。母は何も言わなかったが、その背中から心配が伝わってきた。私はせめて勉強だけはと独学を続け、数学や物理にのめり込んだ。科学雑誌や分厚い参考書を読みながら、「将来は科学者になる」と本気で思っていた。そんなある日、深夜ラジオから流れた音楽が私を変える。鋭いギターリフと叫ぶような歌声──初めて聴くヘビーメタル。その瞬間、心が燃え上がった。音楽への情熱が膨らんでいった。第三章 音楽と青春高校ではバドミントン部に入り、地区大会で入賞。だが、心はすでに音楽に奪われていた。放課後は仲間とスタジオで音を合わせ、週末はライブハウスのステージへ。コンテストでも入賞し、卒業後は進学せず、バイトで生活費を稼ぎながらプロを目指した。その頃、地元の空手道場にも通い始め、週1〜2回の稽古を積んだ。札幌でのバンドは地元メディアにも取り上げられ、インディーズでデモテープ・VIDEOをリリース。ライブは満員、雑誌にも毎月名前が載る。だが、その順調さは私に中途半端な自信と油断を与えた。第四章 東京──夢と現実バンド解散後、メンバーと共に東京へ。機材車に楽器とわずかな着替えを積み、家も仕事も決まらないまま上京した。サウナやカプセルホテルで数日を過ごしながら面接と部屋探しを続けたが、1週間経っても何も決まらない。「自分は何者にもなれないのでは」と胸が重く沈んだ。ようやく中野に小さな部屋を借りたが、バンドは雑誌に載っても生活は苦しかった。人間関係もこじれ、数年で解散。私は苦笑いしながら、ベースをそっとケースにしまった。第五章 格闘技との出会い上京後、K-1で有名な正道会館に入門。まだ落合にあった道場から、高田馬場の東京本部へと移った頃だった。広くなった道場には、魔裟斗、小比類巻貴之、須藤元気らトップ選手が練習に訪れていた。ある日、アンディ・フグが私に声をかけた。「一緒に練習しよう」その日から、私は世界トップの男と同じ空間で技を学んだ。アンディは真剣な眼差しで私のガードの隙を指摘し、「絶対に攻撃を受けないこと」の重要さを教えた。その教えは、私の格闘技人生の土台となった。本や雑誌で研究し、実戦で試し、また磨く。こうしてプロとの練習で身の危険を感じ「攻撃を受けないディフェンス」の原型が形になっていった。第六章 仲間と学びアンディの死はあまりにも突然だった。残った外国人選手のひとり、マイケル・マクドナルドと練習を続け、彼の試合準備で相手選手の動きを真似る役も担った。ミルコ・クロコップやグラウべ・フェイトーザに勝った試合は、まるで自分のことのように嬉しかった。やがて、湊谷先生との出会いがあり、技術だけでなくセコンドとしての心構えや体の使い方を学んだ。「基本を理解すれば、応用はいくらでも利く」──その言葉通り、私は技術研究に没頭していった。第七章 自分の城を築くバー経営を経て、夜遅くまで通える場所を作ろうと決意。新宿歌舞伎町に深夜営業のキックボクシングジムを開業した。ダイエット検定や上級救命講習も取得し、安全と結果を両立する環境を整えた。しかし、会員の中には結果が出ない人もいた。原因は技術ではなく、心の問題だと気づき、通信制大学で心理学を学び、認定心理士に。運動とメンタルトレーニングを融合させた独自の指導法を確立した。第八章 試練と挑戦2020年、コロナ禍。将来への不安と同時に、法律への興味から法政大学法学部に進学。心理学とは桁違いに難しかったが、「高い山ほど登りがいがある」と自分に言い聞かせた。第九章 国際交流と民泊インバウンド再開後、外国人観光客がジムに訪れ、国際交流が生まれた。だが、新宿のホテル代高騰で地方選手の宿泊確保が困難に。そこでジム上階に民泊を作り、選手やセコンドに無料または格安で提供。試合や合宿の拠点として、多くの人に喜ばれている。第十章 感謝すべては、母の存在があったからこそ。乳がんを乗り越えた後、8年後に肺がんが見つかり、今も闘病を続けている。休むことなく働き、私を育ててくれた母に、少しでも多くの恩返しをしたい。私はかつて、病弱で、不登校で、夢を諦めた少年だった。だが、何度でも挑戦し続け、夢の形を変えながら前に進んできた。このジムは、誰もが「強くなる楽しさ」を見つける場所だ。力という名をくれた両親の願いを胸に、私はこれからも歩き続ける。
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