ブログをブロックする
ブログを報告する
こんにちは。鍼灸師・登録販売者の宮崎隆行です。今まで病院、スポーツクラブ、鍼灸院、整骨院等、幅広く職場経験をしてきました。多様な身体の悩みに対処できると思います。また私は瞑想、気功、武術等も長く行ってきました。これらを応用して、人間関係の悩みの緩和、虚弱体質改善、心身改善、養生・不老長生(アンチエイジング)のお手伝いをしたいと思っています。私は子供の頃から、自分の状態をなんとか少しでも良くしたいと思っていました。その為インド、中国に行ったり、瞑想、ヨガ、気功、武術などを行い、先生方に教えを乞いました。これらの中から、心と体に良いものを、皆様に、できるだけわかりやすく、早く身につくように、お伝えしたいと思っています。略歴1961年、昭和36年生まれ、小学校4年~中3剣道、高校時代サッカー部、高校2~3年柔道、高校3~20歳空手、26~27歳キックボクシング。27歳1988年12月~1990年12月インド、タイ、スリランカ、フィリピン、中国、約2年半滞在。インドでは、ヨガ自然療法病院に3ヶ月半いました。スリランカで1ヶ月鍼の講習を受けました。フィリピンでは、8ヶ月スピリチュアルヒーラーのもとに通いました。他に台湾1回、中国は全部で7回。行きました。30代から、形意拳3年、太極拳3年、意拳9年、大東流3年、先生方に指導を受け、短期で、気功、八極拳、八卦掌を習いました。心と体のセミナー色々、ヨガの瞑想、ヴィパッサナー瞑想を行いました。現在まで、太極拳、八卦掌、意拳の一部、自強養生功を行っています。宮崎隆行 メール info1@marvel-force.jp 電話 03-3527-3998 営業時間 午前10時から午後10時位住所 東京都中央区日本橋小舟町8-14-307 MF鍼灸・マッサージゆらぎ1/f経歴昭和36年9月誕生父は長崎出身、母は新潟出身。父は原爆雲を見た。父は山一つ越えたところにいたため、被害をまぬがれた。親類に原爆手帳を持つ者がいる。父の兄は13歳で志願して戦争に行き亡くなる。母の長兄は南方の海洋で戦艦の見張り台に立っている時、飛行機に撃たれて亡くなる。この二人が私の誇りです。昭和43年4月~昭和49年3月小学生毎日、暗くなるまで外で遊んでいた。幸せでした。運動は好きでしたが、下手でした。歴史ものが好きでした。小4から剣道を習う。昭和49年4月~昭和52年3月中学校生剣道部。中3の時、トイレで数人に暴力を受ける。以来、非力を悔やみ、強くなること、能力を上げることが私のテーマになりました。私は小、中学生時代、背が低く、運動は好きでしたが、弱いし、下手でした。幼馴染に強い子がいて、大体、庇護されていましたが、中3の時、1回トイレで数人に脅され、蹴飛ばされました。彼らの理不尽な要求にさからったからです。同じクラスの美人の女の子を呼び出して来いと言われたのですが、私は「自分で行け」と言ったのです。一方的にやられて、悔しかったです。自分の非力を情けなく思い、その日から、強くなるため、いろいろし始めました。蛍光灯のひも(大体自分の額の高さ)を回し蹴りなどするからスタートしました。昭和52年4月~昭和55年3月高校生勉強が世間の役に立つと思えなかった。高校時代は、とにかくきついクラブがいいとサッカー部に入部しましたが、ボールより、地面や木の根を蹴飛ばし、捻挫しまくり、両足首、両膝、両股関節すべて痛め、いつもどこかが痛む状況で、2年生の時は半年以上練習に参加できませんでした。階段は手すりを使わないと登れず、道路の微妙な傾斜も気になるほどでした。この時、整形外科や整骨院で、少しも良くならなかったのが、後で鍼灸師になった理由の一つです。サッカーはできませんでしたが、毎日グランドへ出て、上半身の筋トレをしていました。半年位たって、足の痛みが薄らいできてから、少しずつメディスンボール(砂の入ったボール)を蹴るというより、押しはじめました。そうしているうち、普通のサッカボールが軽く感じられるようになり、普通にボールを蹴ったり、走ったりできるようになりました。さらに高3のときから空手を始め、砂袋や、木、タイヤ、電信柱を蹴るというより押すかんじで、足のすねをきたえたところ、それからは怪我しなくなりました。接触プレーも恐くなくなり、むしろぶつかってきた相手が倒れるようになりました。この時、自然に自分でリハビリのトレーニングをしていたのかと、後で、リハビリ病院に勤めた時、思い起こしました。高校時代(1977年頃)はリハビリという概念は、まだ世間的ではありませんでした。下手くそで、怪我ばかりだったが、高2の3学期からレギュラーになれました。ポジションはサイドバック。昭和55年4月~昭和57年3月短大生金属成形科、卒業制作で斧を鍛造して作成。高校3~20歳、空手を習う。空手はフルコンタクト空手を習ったのですが、最初の頃は、いろいろ技も出来るようになっても、恐がりで、相手の周りをぐるぐる回っているような組み手しか出来ませんでした。組み手の際、普通、「まいりました。」と言えば手を止めてくれるのですが、「まいりました。」と言ってから10発位、突き蹴りをして止める先輩がいました。そのおかげで、どうせ殴られるならばと、前を向いて、耐えたり、微妙に体を左右に動かし、かわし、自分から、一突き入れられるようになりました。この時から、逃げ回らなくなりました。ですが、私の体は突き蹴りによるダメージをそうとう受けました。体格差、体重差を痛感しました。昭和57年4月~昭和59年7月建設現場体作りが大事と思い、肉体労働をしました。昭和59年8月~昭和63年7月コンピュータープログラマー無性に頭を使いたくなり、コンピューターのプログラマーになりました。仕事はダムや道路の水防管理システムで、ダムのゲート放流量の算出や、ロボットのプログラム中にサイン、コサイン、タンジェント等の数学の知識が必要で、数学を真面目にやっていればよかったと思い、また高校の数学の先生には将来こういうところで必要になるよと教えてほしかった。このときの会社の同僚とは毎年1回会っています。この会社の先輩から、ジミー・ヘンドリックス、エリック・クラプトン等のブルースを聞かせてもらいました。4年ほどたつと、長時間労働により、体の不具合を感じ、体を鍛えなおそうと、キックボクシングのジムに通いました。会長、タイ人のトレーナーの指導がうまく、すぐに、カウンターの突きけりが出来るようになりました。これで、体による攻防が出来るようになりました。自信もつきました。ですが、身長差、体重差による不利。また、年齢を重ねると出来ないなどの課題がありました。昭和63年12月~平成3年7月アジア放浪27歳1988年12月~1991年7月インド、タイ、スリランカ、中国、フィリピン、約2年半滞在。インドでは、ヨガ自然療法病院に3ヶ月半滞在。チベット亡命政府があるダラムサラに1ヵ月半滞在。ダライラマと握手できました。スリランカで1ヶ月、鍼の講習を受けました。中国では、太極拳の推手を見ました。若い女の子や老人が若い男の人に勝つところを見て、興味を持ち、習い始めました。気功も習いました。この時、潰瘍性大腸炎の友人は、気功治療を2ヶ月半受け、日本に帰ってからも、再発していません。その後、北京で気功の講習を受け、その時のメンバー5人で、四川省峨眉山とチベットに行きました。この時のさまざまな経験で、ロジカルな思考パターンが180度変わり、精神的世界もありかなと、思うようになりました。峨眉山で、らせん状の雲や、薄紫色の帯が地上から空へ立ち上がっているのを見ました。フィリピンでは、8ヶ月スピリチュアルヒーラーのもとに通いました。ヒーラーはオイルマッサージ、鍼、サイキックサージェリー、占い、人生相談、エクソシスト、警察からの以来等、お客の状況にあわせて、何でもやっていました。平成4年4月~平成7年3月鍼灸学校(熱海)熱海や箱根のホテルでマッサージの仕事をしながら、学校に通いました。カルロス・カスタネダの沈黙の力を読み感銘しました。その後、いろいろな精神世界の本を読みましたが、仏典、道教の古典とカスタネダの著作が私のバイブルになりました。居合いや中国武術を習いました。この時の先生に台湾に連れていっていただき、中国武術の恐ろしさを体感しました。先生の師は少林寺の僧5人の位牌を受け継ぐ人でした。1呼吸の間に何度切り刻まれるかわからない感じで、剣、九節鞭等の武器を扱った。動きは軽やかで、あっという間に裏をとられてしまった。とにかく恐怖と自分の能力の限界を感じ、武術をやめようと思ったのですが、先生になだめられ、30~60代からでもできるものがあるからと、最初に習ったのが形意拳でした。当時、先生のお宅に伺っては、ご馳走になり、貴重な話や映像を見せていただきました。平成7年~平成23年3月病院、鍼灸院、整骨院、スポーツクラブ等、勤務。台湾1回、中国は全部で7回行きました。30代から、形意拳3年、太極拳3年、意拳9年、大東流3年、先生方に指導を受け、短期で、気功、八極拳、八卦掌を習いました。意拳を習っていた時、練習が終わると、先生や仲間と食事に行き、お酒も飲んで、先生にぶしつけな質問もしていました。先生も独り身だったので、気軽に答えてくれました。それで理解が進みました。楽しい時代でした。私が先生に「このようにきたら、どのように対処しますか。」と聞くと、笑って、面倒くさそうに「人間は手が2本、足が2本ですね。」と答えてくれたのが印象に残っています。大東流合気柔術の先生は95歳まで生き、最後まで、頭脳明晰で、その技は素晴らしく、今でも、私の理解をはるかに超えています。先生は明治生まれで、先生の師は会津の武士です。幕末から明治の気風はこういうものであったかと髣髴させる人でした。眼光が凄く、龍の目という感じでした。厳しい先生で、人をほめることは、ほとんどありませんでしたが、全員の練習を見てくれていました。印象深いのは、上位の黒帯の先輩が後輩に指導している時、「君、その人にそんなに激しくやってはいけない、前の若者には、その指導のしかたでよいが、その人の年齢を考えて、前の日まで、どういう生活をしていたか、感じないといけない。」と注意した時、先生の観察力の鋭さや優しさを感じました。この道場で、柔道着が汗でびっしょりになるまで押さえたり、投げられたりしているうち、半年もしたら、重心が沈んで力の抜けた体になっていました。ここの練習は思いきり力を入れて、押さえてくるのを、力を入れずに、持ち上げる練習が主体でした。先生が亡くなった時、骨がりっぱで、骨壷に入りきらなかったと聞きました。当時、私は病院勤めで、薬を多く取った人の骨は焼くと、ぼろぼろになると聞いていました。この違いは何なんだろうと思っていましたが、今の私の確信は、「骨と脳神経は生きている間は衰えない。」です。どのように毎日を過ごすか、何を食べ、何を考え、どのように体を扱ったかで決まると思います。これらの武術を練習しているうち、本当に強い先生には技は通じず、体作りが大事ということを知らされました。体が変わると、意識も変わるようです。徐々に、武術の闘う面には興味がなくなり、養生面や意識の変化に関心が移りました。そして、いろいろな心と体のセミナー、治療の講習、ヨガ、ヴィパッサナー瞑想を経験しました。インドでは、素晴らしい体験も多々ありましたが、自分が得たい体験はありませんでした。日本に戻って、ヴィパッサナー瞑想の10日間の合宿をした時に、自分自身の理解が進み、いい瞑想体験もできました。病院のリハビリ室勤務、末期がん肝硬変専門の病院勤務、鍼灸院、整骨院勤務、スポーツクラブ勤務等、鍼灸・按摩・マッサージ・指圧師の資格で働けるところは、ほぼ経験しました。2番目の病院勤務時代、自分より若い患者さんが、難病やがんに苦しみ、亡くなっていくという現実を体験しました。現代医学、東洋医学、様々な治療法をしても救えない人はいます。当時、私は30代後半、30代半ばの女性が小さな子供を残して亡くなってしまったのが、最もこたえました。一番若い患者さんは14歳、白血病や悪性リンパ腫でした。今、私は予防医学、養生が大事とつくづく感じています。平成23年4月~現在 病院勤務時代の同僚と再会し、共同運営する。治療でお客様の体の状態がよくなり喜ぶ顔を見たい。それにプラス、弱い人が丈夫になっていく過程を見たい。東洋思想を知っていただき、病気を未然に防げるようになっていただきたい。また、世界は美しく素晴らしいですが、人間からエネルギーを奪うシステムにもなっているので、それから心身のコントロールし、守ることを知ってほしい。と思っています。
テーマ: 養生禅
テーマ: 治療
アメンバーになると、アメンバー記事が読めるようになります