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2歳の頃に、両親が離婚をして母子家庭で育つ。5歳の時から、一度もブレることなく、大相撲の力士になると決める。しかし、身長が当時の規定に足りなくて、あきらめざるをえなくなる。それが高校3年の時で、祖母の弟が捜査一課の刑事だった事もあり、警察官を目指すも、当時は警察官の数を減らしていた時で、卒業時には決められず、バイトをしながら警察官採用試験を受けていたけど、集中しようと、全日制の公務員の予備校に通い出した頃から、身体に異変が出始める。最初は手の痺れから始まり、段々と進行をして行き、最後に受けた警視庁採用試験を受けた時には、歩く事もままにならなくなっていました。僕が高校受験の時に、母が乳ガンになって、入試の日に入院して、合格発表の日が手術でしたが、その定期検診に大学病院に行くと言っていたので、回りには体調の異変を隠していたので、少し変だからと言って、一緒に病院に行き、手が痺れるとだけ伝え、整形外科を受診。すると、歩き方が変だからと、今すぐにMRIを撮る様に言われ、大学病院では予約が埋まっているからと、別病院で撮り、警視庁採用試験を受けてから、病院に戻ると脊髄専門の先生に変わっていて、ハッキリ言って良いですかと聞かれたので、ハッキリ言ってくださいと答えると『国指定の難病で明日、死んでもおかしくない状態です』と余命1日の宣告を受ける。唯一の助かる方法であった手術も、成功率2%以下でしたが、それに賭けました。手術は成功しましたが、髄液が全く止まらず、腰に管を刺す再手術を受け、ベッドにはりつけられたままで、足は動かせていたので、気づいてませんでしたが、力が入らず車椅子生活になる。酷く落ち込み、リハビリだけになって、転院をした先での諸々な事があって、自殺を考えるほどでしたが、立ち直った時に、自分の経験を活かせば、外科的に救えない命も救えると思い、長く医学部受験を続けて来ましたが、母への恩返ししなければと思い、カウンセラーの資格を取りました。そして、メールカウンセリングをはじめました!wheelchi-cosel-joe69.jimdofree.com
テーマ: ブログ
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