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明石市魚住町のピアノ・リトミック・エレクトーン・ソルフェージュ教室『おとゆうピアノ・音楽教室』です。JR魚住駅、山陽魚住駅から徒歩約9分西部市民会館・西部図書館から徒歩5分以内で行けるという大変好立地なところにあります(西部市民会館が見えま~す)。明石市へ引越してきて30数年、2才から81才の方とご縁がありました。ピアノ歴は〇〇年!!(ひぇ~っ)、エレクトーン歴も3〇年!(うわぁっ)二人の息子たちも独り立ちし、今ではどちらが親かわからないような状態にまで育ってくれました。自分が今できることは何かを日々考えながらヤマハではグループレッスン、個人レッスンを主宰しています『おとゆうピアノ・音楽教室』では個人レッスンを主に(少人数のグループレッスンもしています)おっちょこちょいな講師が楽しくレッスンをしております。ピアノ専攻卒ヤマハシステム講師(Sライセンス、グレード3級取得)ヤマハグレード(ピアノ・エレクトーン)試験官講師歴30数年おとゆう音楽教室代表講師ピアノ・エレクトーン以外にも、クラリネット・ドラムなどいろんな楽器を経験し、演奏活動も行っている音楽が大好きな現役講師です。◆教室の備品としてグランドピアノC52台(黒色・茶色)、サイレントアンサンブルピアノ、電子ピアノ、エレクトーン(ステージア02C)、鉄琴、木琴、ドラムセット、クラリネット、タンブリン、鈴、カスタネット、ウッドブロック、トライアングル、ハンドベル他◆駐車スペースは、教室の横にございます。お車でお越しの際はご利用ください。♪ ☆彡 ♪ ☆彡 ♪ ☆彡 ♪どのようにして音楽の道へ行くようになったか…お恥ずかしいですが簡単に紹介させていただきます。《おっとりであわてんぼ》明石市生まれ3人兄弟の真ん中早生まれで超マイペース《音楽との出会い》母が音楽好きで『将来学校の先生になる時に役立つように』と近所のヤマハ音楽教室に幼稚園から通うようになった。『猫ふんじゃった』の早弾きやアンサンブルをクラスのみんなでしていた記憶がある。途中から個人レッスンへ。若くて優しいグループレッスンの先生が、引き続き担当と言うこともあって、そのままゆっくりペースで続けることになる。ソルフェージュの歌唱が好きだった。アップライトピアノを買ってもらい、よろこんで練習した。少し大きくなると友達と遊ぶことがメインとなり、練習はあまり真面目にしなくなった。《怪我の功名》練習量が少なくてもレッスンの時は何とか繕って弾けないものかと、この頃に音を読むスピードをアップできる方法を自分なりに編みだす。また合格しないと悔しくて、その週必死に練習した。負けず嫌いの性格が出始める。そのおかげで音楽教室の中では、結構弾ける方になり、少し自信がつく。《強みを発揮》(^_^)低学年のときの音楽の授業ではハーモニカや歌でほめられ、高学年になってからは音読みが出来ることを武器に、リコーダーは早々に課題をクリアし、音楽会ではアコーディオン、木琴・鉄琴などの最前列で目立つ楽器を担当。4年生から始めたそろばんでは、指が速く動いたので、飛び級ですぐに7級合格。ピアノを習っていて得した経験を多くする。成功体験をいっぱいし、この頃にはかなり積極的な子どもと変化。《負けず嫌い》(^O^)高学年になっても背は高くならず、手が小さくオクターブがやっと。和音やオクターブがなんとか弾きやすくならないかと指を引っ張ったり、指を広げる体操をしたり、回したりいろんな方法を試した。それまでのピアノの先生が辞められて、母が次の先生を探す間レッスンに通っていない時期が少しあった。この頃、弾きたい曲の楽譜がないので自分で作ろうと耳コピをする。その後も自己流で耳コピしたり曲を作ろうとしたり楽しんでしていた。(^O^)《直談判》 中学ではかなり積極的な子どもになっていた。通った中学は市内で唯一吹奏楽部がない学校だったので、吹奏楽部を作ろうと音楽の先生に友達と一緒に掛け合って何度も懇願し、吹奏楽部の前身を作ることが出来た。音楽同好会のような形で始まった部に英語の先生がクラリネットを持って参加され、この時がクラリネットとの出会いとなる。合唱コンクールの伴奏は張り切って3年間したこの時の経験から中学生の生徒の皆さんにも薦めている。《まさかのハプニング》(*_*)3年生のピアノ発表会(だったと思う)、演奏途中に最前列のお客さんの顔が目に入ってきて、音が分からなくなるも何とか最後まで弾ききるというハプニングを経験。この後から人前で弾くことに異常な緊張をする『緊張しい』となってしまう。担当の先生の授業の面白さから、理数系が好きで、中でも数学の計算問題と実験が大好きだった。絵もよく書いていて、器械体操系も好きで、といろんなことに興味がある子だった。興味がいろいろありすぎて、ピアノの練習はレッスンまでに弾けるように練習をしていくような感じだった。定期テスト勉強の時は気分転換にピアノをよく弾いていた。「高校はどうするの?」ピアノの先生の質問に「吹奏楽部に入りたいので県立高校を受けます」と返事をする。この質問はのちに『普通高校か音楽専門か』の意味だったと聞かされる。《音大受験を目指す》希望高校に合格し吹奏楽部に入部。ピアノは相変わらずマイペースで続けていた。が…同じクラリネットパートの友達が「音楽の大学に行きたい」というのを聞き、刺激されるピアノの先生に相談し母に伝えると『学校の音楽の先生であれば』といくつか条件を付けられ、許してもらった。この時に、母の言う学校の音楽の先生の就職率の高い大学を選択することになった。後手にまわってしまったことで聴音や楽典、声楽とそれまでになかった大変なレッスン日々がこのあと待ち構えていた。ピアノの先生の紹介で、その先生にソルフェージュ(コールユーブンゲンや聴音)のレッスンを受け、大学の男の先生にピアノのレッスンを受けるようになった。《挫折》ソルフェージュの先生に、クラブをしている時間もピアノの練習をするようにと言われ、吹奏楽部を退部することになった。今でもこのクラブの人たちとは交流があり、懐かしい頃に戻る時がある。ソルフェージュで最も悩まされたのが聴音の記譜。記譜のレッスンを受けてなかったツケが一気に襲ってきた。大学の先生の生徒数名集まっての弾き合い会で音が柔らかく表情豊かな演奏する人もいて、実力の差を見せつけられ、ここでもかなりのショックを受ける。落ちこぼれ状態に悩み、ピアノに執着しないで学校の先生を目指そうかと考える日もあった。ただ、一度やると決めたことをあきらめたくなくて、その気持ちだけで頑張った。《音楽学部に合格》大学に入ると今の恩師と出会う。的確なアドバイスをしてくれる女の先生。この恩師との出会いがなければ今ピアノを弾いていないと思う。入学すると前期後期のピアノ実技テスト以外に、スケールやカデンツなどのテクニックの細かいチェックのテストがあった。順調に合格し、学年で最初にミッションをクリアした。母との約束でアルバイトして学費を資金繰りする必要があり、入学してから一時練習量が減った。母の条件だった教職の授業は、遅い時間帯にあったのでアルバイトが出来なくなることもあり履修を断念(母には内緒で)。副科での管弦楽器履修で念願のクラリネットが吹けるようになった。2年生後半頃からは楽器店の教室でピアノを教えるようになり、ケーキ屋さんのアルバイトへ行く日も減っていった。この頃にグランドピアノを買ってもらい、自分が思った通りの音が出ることに感激しピアノの練習が楽しくなった。《実力を発揮》恩師はいろんな曲をたくさん弾かせてくれたのでよくピアノの練習をしていた。3年では各学年トップが出る学内演奏会に出演することに。また、2台のピアノでのステージや管弦楽履修生全員でのアンサンブルでクラリネットソロ演奏も経験させてもらった。学部の中の希望者だけでミュージカルを学園祭でやったりと、この頃が学生の中で一番充実していた。学生の時の仲間は、先生となった人や音楽活動を続けている人などいろいろだが、今も交流を持っている。トップクラスの人が出演する大学卒業生新人演奏会に出演。明石新人演奏会にも出演。《卒業》様々な楽器店で経験を積んだはじめの楽器店は学生時代のアルバイト2年、卒業後もそこで2年。結婚、出産を機に退職した。2年間は育児に専念。2年のブランクの間はエレクトーンのレッスンにも通う。途中からはこの楽器店で、ピアノアドバイザーとして個人レッスンを行うことに。結婚引越があるためあきらめていたヤマハのシステム講師のテストをこの間に受け合格。退職し、システム講師となる最初に所属先となった楽器店は次男出産まで。育休明けからは所属楽器店を変更してもらい、その後阪神淡路大震災に遭い、所属楽器店がまたもや変更となる。楽器店でのレッスン外に明石へ引越してからは自宅でのレッスンも始め30数年に。様々な楽器店でいろんな先生方と出会い、その先生方との情報交換で得たものは、私の財産となっている。《子育て》息子が二人。どちらもヤマハに通わせた。長男はエレクトーンに次男はピアノとそれぞれの好みが分かれた。二人とも音楽が好きになってくれ、大学生になってからはバンドを組みキーボードはもちろんギターやドラムを担当する。ドラムは私も習っていたこともあり、意見交換をいろいろ。上達は息子の方が速かった。下の息子は大学生の時に発表会の手伝いをしてくれるまでになって、音楽をさせていてよかったと思った。《どんなレッスン?》レッスンでは、わかりやすい、やさしい、けじめがあるなど定評をいただいている。講師を長くつづけ、子育てもしていろんな経験をして、飴と鞭の使い方が少し上手になったと自負している。学校や学年越えての交流を深め音楽の輪を広めてほしいと思い、イベントを企画している。今では発表会やおさらい会で生徒スタッフとして活躍してくれる頼もしい生徒も多数いる。各種コンクールに参加したり、合唱コンクールの学年代表伴奏者に選ばれたり、ヤマハグレードに挑戦・合格したりと積極的な生徒が多い。お友達紹介やご兄弟姉妹でご入会いただくことも増え、多くの生徒さんに通っていただいている。高校や大学まで長く通ってくれる生徒、教室卒業後も連絡をくれる生徒もいる。明石高専、明石北や城西、西高校の理数コースや英語コースに推薦で進学したり、有名な長田高校や中学受験し偏差値の高い中学へ進学した生徒や学校の先生・幼稚園の先生にと希望をかなえた生徒も多数いる。いつまでも弾いて見せられる講師でいられるよう、恩師の下で今も学び続けている。2歳から81歳の方までとご縁があり、これまでレッスンしてきた。いくつになっても音楽に親しめるように音楽の基礎を楽しく学んでいただき、自分の気持ちをピアノで表現出来るようになっていただけるように心がけている。これからも生徒皆さまの弾きたい弾いてみたい気持ちを応援し続けていきたいと思っています。こんな講師ですが、どうぞよろしくお願い致します。♪《当教室に通ってくださっている生徒さんたちの学校・幼稚園、地域》・錦浦小学校・錦が丘小学校・魚住小学校・清水小学校・江井島小学校・大久保南小学校・山手小学校・錦浦幼稚園・錦が丘幼稚園・魚住幼稚園・恵泉保育園・なすみ保育所・きらりん保育園・すみよしこども園・大久保南幼稚園・江井島幼稚園・山手幼稚園・明石あすの保育園、明石市魚住町、明石市大久保町、播磨町♪《明石市ピアノ教室、明石市魚住町ピアノ教室、明石市大久保町ピアノ教室、明石市二見町ピアノ教室》
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