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小佐田秀志@中小企業のお金づくりコンサルタント
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小佐田秀志@中小企業のお金づくりコンサルタント
性別
男性
血液型
A
出身地
山口県
ステータス
既婚
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自己紹介&開業秘話をお見せします
私とあなたの間で”happy-happy”な関係で、仕事をします!!
あなたが本気で、企業存続のためにお金をつくる、助成金、経費削減、
売上アップしたいと考えているのであれば、私はあなたにとって強力な支援者です。
こんにちは。『中小企業のお金をつくる』プロ、東京都足立区の
行政書士、社会保険労務士の小佐田です。
今、この仕事をしていますが、開業にいたるまでを自己紹介を兼ねてお話します。
中学で人生初の挫折。
ピッチャーで4番バッターを夢見て野球部に入部しました。
しかし、足の故障でまともに歩けず入院。
根性が無かった自分。足は完全に治ったのに「再発したら嫌だ」と医者でも
ないのに勝手に思い込んで、野球部を辞めてしまいました・・・。
今でも、もし人生やり直せるならここに行きたいといつも思います。
その後、色々チャレンジしました。
テニス、ビリヤード、ドラムなど新しいものばかりです。
ただ、中途半端のままで、かじるけどやり遂げていないものばかりでした。
いつしか額に汗をかかず、楽していいことを探しているようでした。
その日その日は、楽しいけれどひとつのものに打ち込んでいませんでした。
平成元年、学生気分のまま入社。
バブル絶頂期、配属になってから週に2日は徹夜、あとは終電帰りという日々。
先輩たちも「つらい。」とこぼしていました。
あるとき、私を挟んで先輩同士が冗談を言って大笑いしていました。が私は笑えま
せんでした・・・。
専門用語がわかれば大爆笑の場面らしいのですが・・・。
意味がわからない、わかろうともしていなかった私にはつらい出来事でした。
しかも、先輩の「つらい」は、徹夜明けで体がつらい、でも心は充実感で満たされ
ており、私の「つらい」とは違う次元の話だということに気づきました。
言葉でつまづいたため、大学時代の法律用語(と言っても詳しいわけではなかった
のですが)をという気持ちが芽生えてきました。
そのとき、偶然「行政書士」という文字が飛び込んできました。
資格のチラシだったのです。これが運命だったのかもしれません。
いてもたってもいられず、その日会社を休んで、当時の行政書士会会長のところに
電話し、いきなり押しかけました。
その方は、仕事に情熱と誇りを持って取り組んでらっしゃいました。
当時23歳の自分にはかなりの衝撃でした。
仕事に対してこんな熱い人がいるんだと。
この方に会わなければ行政書士小佐田は生まれなかったでしょう。
思い切って資格を目指ざすため退職しました。
と言っても今まで徹夜、終電ばかりだったのでまずは「自由に遊びまくってやる」
と思いレンタルビデオ、ゴルフスクール、行きたいところに行ってみました。
1週間後・・・ふと「これが自由?」
友達はみんな「必死こいて働いているのに自分は何をしているんだ?」
何か社会から疎外された感覚に陥りました。
このときです。今までと違うスイッチが入りました。
「とにかく何でもいいから働きたい」と強く思いました。
昼間、飢えたように梱包・配達、資材運搬などやって、
夜、資格学校に行き勉強するという生活になりました。
本当に働ける幸せを実感しました。
が、資格をとっても行政書士事務所での働き口がなかなかないのが現実でした。
その間、メッキ工場や交通誘導員をやっていました。
休日には、時間をもてあまし、車もなくただただ歩きまわりました。
あてもなくたどりついた場所で不安に追われる、時間をもてあまし、でもする事も
ない、
気づくと桜木町の観覧車の前だったり、保土ヶ谷駅の住まいとは反対側の町だったり。
目に入るのは、楽しそうなデートや、家族団らんの風景。
どこにでもある日常の中で、孤独な自分探しの日々が続きました。
突然、運命の電話が・・・
資格予備校のときに仲良くなった友達から「今自分が勤めている事務所で一人行政
書士を募集するんだけど、どう?」
ここで自分の師匠で、仲人で、そして東京の父でもある行政書士の先生に会うこと
になります。
山口県生まれの私は、歴史上、幕末の舞台が好きです。
中でも「坂本竜馬」(山口ではないですが)。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は、5回くらい読み直し、そのたびに新たな男像を見
つけています。
ちょうどこのころ2回目を読んでいたときでした。
その中に表現は多少違いますが、「人は、その人でないとできない事をするために
この世に生まれてきた」というようなくだりがあります。
そう信じるようになっていた私は、友達からの電話に二つ返事で「じゃ行く」と
答え、「行政書士になるために生まれてきた」という思いで、横浜から初めての地、
東京都足立区に引っ越してきました。
今でも覚えています。竹ノ塚という駅に降り立ったとき、期待よりも不安のほうが
大きく、全く知らないこの場所で、本当にやっていくのかと悲しくなりました。
ただ、どんよりした重い感じはほんの一瞬で終わることになります。
何をやっても長続きしなかった中途半端な男からの脱却でした。
そこでちょうど平成4年11月から平成14年10月まで、まるまる10年間全身
全霊でやってきました。
大変なところもあったけど給料を貰いながら学べる場として、将来の独立という目
標があって、本当にひとつのことをやり抜いたと思います。
私自身、情熱を持って仕事に取組み、この事務所を変えたという自負はあります。
売上を上げたり、事務所全体のお客様への対応をガラっと変えました。
この事務所に勤務中に結婚をし、長女、長男が生まれました。
10年一区切りで、ずっとこのままここにいるか、別の事務所に行くか、あるいは
独立開業かということで悩みました。
もとから10年でと決めていたのにブレーキがかかったのは、本当に食っていける
のか、年収300万円といわれる行政書士で・・
売上があったのもこの事務所の看板があるからではないか、ということでした。
最後に背中を押してくれたのは、妻でした。
「何のために今までやってきたの?1年やってダメならしょうがないじゃん。」
本当に妻に感謝します。
もしここで違う言葉だったら独立できなかったかもしれません・・・。
独立開業から9年たった今は、44歳で19年のキャリア
の行政書士、社会保険労務士になりました。
44歳の行政書士、社会保険労務士はいます。
19年以上のキャリアの行政書士、社会保険労務士もたくさんいます。
が、44歳で19年のキャリアの行政書士、社会保険労務士は自分の知りうる限り
いません。
現在11、8、6、4歳の4人の子供は、自分の生きる力です。
苦しいときやつらいときは、眼を閉じて子供の顔を一人ひとり思い浮かべると
「ヨシ!」
と奮い立ちます。本当にありがとう。
私の好きな瞬間があります。
都庁への書類申請が終わりますと
どんな仕事のときでも、受付後、少し薄暗い1Fのベンチに腰かけ缶コーヒーを
飲みます。
コーヒーの香りが漂う、ホッと一息つける瞬間。
おかげでまん丸な体型になってしまいましたが・・・
その申請にいたるストーリーが必ずあります。
コーヒー飲みながらそれに浸る瞬間が好き。
そんないろいろな経営者ストーリーに出会えるためなら
もっと丸くなってもよいかなと思います。
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