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始めまして私は、2015年に退職して今は年金生活です。少しは世の中のために何かをしたくなったので初めてみます。BABYMETAL(メディアに無視される凄い人達)の影響かな!在職時に、パワーポイントで電気の教育資料を作ったりしていたので少しずつアップしようと思います。元々は、前橋工業高校の機械科卒なので電気は全く分かりませんでした。たまたま緯糸センサの開発を任されたため回路図とにらめっこする羽目になりました。オシロで回路を確認し回路をいじくり始めたのが電気をヤルきっかけでした。 従って、計算式とか苦手です。トランジスタも好きでなかったのでオペアンプを使っていましたが、車に行って試験用4駆のドライバ回路でトランジスタの使い方を失敗しました。車は、意外とトランジスタをI/Oやアナログ回路で多用しています。北欧での試験前に直しましたが、信用は大分落としました。基本ぐらいは、知ってないと駄目ですね。電気は、実際の波形を見て獲得した技術になります。電気は、波なので流体をやっている人は難しくないはずです。特に圧力波形を見ていた人は! 電気も同じです。私は、某自動車会社には、S43年に技能員として入社しました。しかし、配属は繊維機械部で自動繰糸機部門でした。世界遺産になった富岡製糸所にある25mくらいの機械、繭から生糸を採る「自動繰糸機」です。自動繰糸機は10年、現場、現地立上と検収そしてサービス 中間で検査も5年やりました。約4年間全国の製糸工場と繭検定所に伺っていました。次が織機です。始めは緯糸を水で飛ばすウォタージェットルーム、次に空気で飛ばすエアージェットルームです。最初は、製造で、次に試作部品の製造、耐久試験、ウォタージェットの製織実験ここで光学緯糸センサの開発を担当し電気のまねごとをしました。この当時は、北陸は雪が多く丁度大雪で杉の木が雪の重みで避けた時期です。最近又大雪が降るようですね?その後エアージェットの製織実験に移り、暫くして電気を担当することに成り最初に開発したのは胴切れセンサでした。次の緯糸センサが大失敗で、全てを現地で改修しました。最後に台湾が残っていたのですが火災で焼失したため台湾への出張はこの時は出来ませんでした。設計に2名、実験に2名しかいなかったので結局全てをすることになります。その後、電気グループが出来た時その一員に成りました。織機は20年間です。その内電気が10年。繊維の後半は赤字続きで、豊田自動織機に譲渡してしまいました。私の場合技能員で技術員の仕事をしていた為、豊田織機さんに当てはまる職種が無いということで自動車に移動となりました。1年間は豊田自動織機に出向で在職していました。多少豊田イズムも経験しています。自動車では、品質保証が約9年(現場→試作→市場不具合、当然監査も)、開発(HEV)が7年です。品質保証では、某工場で電気と難解不具合を重点的に担当していました。原因不明の電気不具合が続いた場合(車の場合2件で監視対象です)、私がチェックするまで修理を保留したりしていました。品証は、権限が強いので末端でも出荷停止ができてしまいます。開発では、HEVの強電関係を見ていました。どうして開発に行けたかというと開発部門の品証に応援いった時、勝手に面接をし採用されましたが、品証部長がすぐ許可してくれなくて6か月ペナルティーを受けました。まぁ組織としては当然ですね?HEVの強電はインバータと電池,DC/DCコンバータそしてモータです。私はインバータのグループに居ましたがDC/DCも電池も見ていました。メーンの開発は、若い人で、私はそのお助け業務と言ったところです。但しユニットから出る異音については専任で実験していたので大分詳しくなりました。織機は耳栓をするほど衝撃音が凄いですから品証で車の異音と言われても??? でした。いい勉強に成りました。いずれアップします。最後はHEVの市場データを収集してグラフ表示するソフトをVBAで作って終わりました。ソフトは、チョットいじってみたかったので、ちょうど中国に依頼するデータ収集ソフトの仕様書を頼まれたのですが勝手に作ってしまいました。始めは帰ってこないほど時間が掛かり改良して30分程度に成り最終的に5分に成りまし。VBA命令で全く変わることは知っていたのでネットのソフトを参考に改良を加えました。データがアスキーだったり16進だったり10進だったりで結構大変でした。同じようなものを3件作り関係部署に配りました。良い頭の体操に成りました。仕事は、繊維の時代から技術員の仕事でしたが、開発に来て初めて技術員に成れました。繊維に配属と聞いた時、まさか最後が自動車のしかもハイブリットの開発とは思いもしませんでした。人生とは、わからないものです。 そうそう、実はバブル期に家を買って生活が苦しくなり金曜の夜から月曜の朝までバイトをしていました。この時期赤字会社で残業代が出ない全くのブラック企業でした。秋葉原にのショップでPCの組立など3年程度働きましたが、税務署がそのショップに査察に入り奥さん名義がばれ(ショップの人が言ってしまったため)、3年分きっちり追徴課税されました。取り立ては容赦ないですが、税務署の人達には相談した方が早いことも学びました。人生いろいろです。
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