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さいたま市(旧岩槻市)生まれのちに安室奈美恵さんが20歳で第一子を出産された丸山病院でうぶ声をあげる。小6で地元の小さな学習塾『無何有(むかう)塾』にて初めて英語にふれる。お手本にしたがってアルファベットをなぞってゆく作業がたのしく、英語が好きになる。さいたま市立城北中学校入学〜満点なのに9〜中1はじめての英語クラス。中間・期末テストで100点満点をゲット。みんなの前で先生に褒められたことが嬉しかった。が、授業態度に難あり。成績は10段階評価の9。このときの悔しさがきっかけとなり、より真剣に英語にとりくむことになる。〜努力は報われる〜バスケ部。引退直前までの3年間、公式戦全戦全敗の弱小チーム。猛練習をかさね、最後の市大会に挑み、ついに初勝利。勢いそのままにトーナメントを勝ちすすみ、奇跡の優勝をはたす。決勝は後半残り15秒、4点ビハインドからの2本連続スリーポイントで劇的逆転勝利。弱小チームのミラクルストーリーは校内でも話題に。当時の人気漫画『スラムダンク』に登場するスリーポイントシューター三井君のストーリーと重なり、他学年の見知らぬ生徒からも「逆転スリーのミッチーだ!」と街で声をかけられる。努力すると報われることを初めて知る。県立高校入学〜聴きとれないし話せない〜在籍時に天皇皇后両陛下も視察に訪れた県立高校に入学。2年時の中間テスト。リスニングテストで聴きとりができず自分に失望。中途半端に記入した解答用紙をわざわざ消しゴムですべて消し、白紙で提出するひねくれキャラを存分に発揮。科目としての英語は好きなのに、聴きとれないし話せない。英語への恐怖とフラストレーションが芽生えはじめる。〜努力は報われない〜この高校でバスケをやるのが夢で入学するも、高校一軍レベルは別次元であった。努力をつづけても万年二軍暮らし。体育館での卒業式。最後の退場曲でながれた小泉今日子の『あなたに会えてよかった』―いやオレ誰にも会えてないし、何者にもなれてない... こぼれ落ちそうな涙をギリギリこらえ体育館をあとにする。努力しても報われないことがあると知る。埼玉県私立大入学〜どゆこと??〜英語ペラペラを夢みて憧れの英語学科へ。入学式。学部長らしき人が冒頭、マイクであいさつ「英語学科だからって英語が話せるようになるわけではないので勘違いしないように(真顔)」 ―えっ?英語学科入っても英語話せるようにならんの??ど、どゆこと?? 合格発表の掲示板に自分の受験番号を見つけたとき、よし!これで4年後には英語ペラペラ!スポーツ記者になれる!海外飛び回ってバリバリ働くぞ!と描いた夢物語、入学初日に泡と消える。〜沈黙では上達しない〜入学後、初の英会話クラス。レベル分けで初級クラスへ。まわりもみんな初心者。恥ずかしがってみんな下向いて誰もしゃべらない。ーそもそもボクたち英語喋ったことないしね... ーー これが英語学科の現実。沈黙が支配するレッスンが1年つづく。〜20ドルバーガー〜大学1年夏休み。意を決して24ヶ月ローンをくみ、米国語学研修へ。人生はじめての海外。よっしゃ英語しゃべったれい!シカゴのマクドナルドで3ドルのハンバーガーをレジで注文。20ドル札を差しだす。ハンバーガーを受けとる。が、お釣りの17ドルがいつまでたっても返ってこない。「お釣り」って英語で何って言うんだ?? 恐怖心でクレームもできず、席にひきかえす。噛みしめた失意の20ドルバーガー。あぁ、イングリッシュってディフィカルト。〜福島の農家だから〜大学2年。少人数のクラスなら話せるはず!――国際関係のクラス。初回の授業。積極的に最前列にすわる。ネイティブの先生から意見を求められる。言いたいことは浮かんでいる。が、それを英語で何と言うのか分からない。長い沈黙。静まりかえる教室。休憩時間、トイレに駆けこむ。不甲斐ない自分。残りの授業時間、トイレの個室に閉じこもりひとり泣きくずれる。ーー父ちゃんの実家は福島の農家。母ちゃんの実家だって長野で米農家。英語なんて無理なんだよ。。DNAがそうなってんだよ。。自分に失望。20歳の秋であった。〜電話ボックスでギブアップ〜大学3年。農家の孫だもん。英語ペラペラはあきらめよう。ゼミ研究なら英語は話さなくてすむ!――キャンパス内最強の吐血ゼミといわれた音声学のゼミに、猛勉強の末に合格。前期は授業に必死にくらいつくも、夏休みにつまずく。ゼミ合宿のプレゼン準備が間にあわない。合宿当日、教授に電話「プレゼン準備できませんでした。ゼミ辞めます。」――「... 勝手にしろ(怒)」との返答。電話が切れる。ひとり泣き崩れた所沢駅前公衆電話ボックス。学業ギブアップの瞬間であった。〜野良犬拾われる〜夢も、希望も、ゼミ所属も失った大学4年。大学での唯一の友達Makoto君の紹介で、彼が所属する認知文法ゼミへ転籍。教授陣のあいだでは落ちこぼれぶりが知れ渡っていたであろう野良犬問題児を受けいれ卒業させてくれた府川教授。卒業時にいただいた言葉に号泣する―「お前はまず人の言うことを聞きなさい」「人生の先輩たちの助言はまずは受け入れ実行しなさい」「結婚したら嫁さんを必ず連れてきなさい」フィニックス英語学院入学〜英語って楽しかった!〜2001年1月15日。大学時代の唯一の友達Makoto君に誘われて参加した一日12時間英語漬けプログラム。恐怖そのものであった英語。その英語が、話すって楽しいのだと人生で初めて経験する。すでに英語をあきらめていた自身の人生転換期となる。Makoto君が半年で退学する中、英語によるドラマ制作のクラスなどで、空白の大学時代を穴埋めするがごとく濃密な4年間をすごすこととなる。TOEICスコアは大学時の400点から900点に。フィニックスの先生みたいにキラキラした教師にいつかなりたいと漠然と思いはじめたのもこの頃。高級寿司チェーン海外事業部入社〜通訳がスラスラ出来てる!〜フィニックス英語学院での経験と長期留学なしでのTOEIC400→900点アップ。「君はユニークだな。おもろい!」と面接にて社長の目にとまり内定。バンコク、マニラ、ドバイでの海外プロジェクトに携わる。マニラ店オープン時には現地にて社長通訳を担当。専門的な訓練をうけたこともないのに通訳がスラスラできている自分に驚き、興奮をおぼえる。社長をはじめ人間力あふれる方々に囲まれ働かせてもらえたことが一生の財産。2007年にオープンした銀座店が、旧カプラン銀座校からすぐそばの立地にオープン。のちに不思議な縁を感じる。旧カプランジャパン インストラクター〜頂いたことをお返しする〜代表の石渡誠先生とUNcafeでのランチ会食。今すぐというよりも30年後の定年退職したあとにフィニックスの先生みたいな英語の教師になるのが夢なんです、とポツリ。それを聞いた石渡先生、「定年後に始められるほど教師の仕事は甘くないよ。」と一喝。わ〜先生なんか怒ってる...(汗) 教師業を甘く見ていた自分自身の幼稚さに気付く。赤っ恥。教師歴30年の大先輩を前に、顔を真っ赤にして食べかけのサンドウィッチを頬張る ーー教師になるなら今しかない。数日後、教師になることを決断。フィニックス時代の先生方から教わり経験したこと、そして若い頃の数々の挫折から学ばせていただいたことを、お返しすることが使命。LIFE IS TOO SHORT NOT TO HAVE FUN :)
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