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心と体と魂の輝く ホリスティックケアの普及と発展を目指して活動しています。 『ホリスティックケア』とは心・体・魂の調和を図り、一人ひとりのニーズに合わせながら、本来持っている力を最高の状態に戻すケアの事と捉えているのですが、そういうケアができると、患者さんはもちろん自分自身も整うことで、より周りも大切にできるのではと思っています。その思いから、現在ホリスティックケアの普及を目指したスクール活動もしています。 私が「看護師になりたい」って初めて表明したのは、幼稚園の時です。母が看護師だったのと、「キャンディーキャンディー」というアニメの影響があったと思います。でも親友のアニーのビジュアルの方が好きでした♡話は戻りまして、高校を選択する時にも看護師になることを意識して選びました。 しかし高校卒業時の進路決める時に「動物の看護師」さんの資格があるっていうのを知って、子供の頃から動物が好きでムツゴロウ王国に行きたいっていう夢もあったので、看護師という夢のコラボで動物の看護師さんになりたいな~って思って資料を取り寄せてそちらに進もうとしていたのですが、看護師の母に国家試験の人間の看護師になりなさい!と強く勧められて、人間の看護学校に行きました。 看護学校を卒業した私は、お礼奉公(授業料を負担してもらえる代わりに3年間系列の病院で働く)というシステムがあったので、その系列の病院で働き始めました。しかし、ずっと看護師として働くなら、公務員になった方がいいからと母に強く勧められ、もし受かったら神様がそっちに行きなさいってことだろうと受けてみたら、見事受かることができました。(今では、母は私の為を思ってそれが一番いいと考えてのコントロールで、自分自身が母の強さと導きが自分の使命を全うするのに必要だと選んで生まれてきたと理解していますが、子供の頃から、習い事なども自分が習いたくても母が納得しないものは却下され、ある日突然カバン渡されて、くもんや習字、ピアノなどを言われるがまま習っていました。 塾や合唱団はOKもらって自分の意思で習わしてもらっていましたが、母が決定権をもっていて逆らっても通らないというような体験が、いつも笑顔で相手に合わせすぎるようないわゆる「優等生・いい人」と言われる私の一部を形成していったのだと思います。大人になってからはわがまま 我がまま あるがままになりつつありますが) 地方公務員として4月から入職するにあたって、お礼奉公の試験採用の3か月分が足らなかったため、今まで貯めてきた給料で全額返済して市の病院で働き始めました。そんな経緯もあり、ずっとここで働いていくのだろうと、その頃の私は漠然と思っていました。 しかし、そんな私に転機が訪れました。 それは、自宅の一室でリフレクソロジー(以後リフレと略)をされていたセラピストさんとの出逢いです。 好きなことを仕事にしながら人に喜ばれ、時間も自分でコントロールできる働き方 もあるのだと知り、その時はいいな~って、思いながらも私には関係ない事だと思っていました。 リフレを受けて、心地良さと効果を感じ、患者さんにも足湯の時にしてあげたいなと、思ったのですが学校に半年も通わないといけないと聞き、子供が小さいうちは仕事以外で毎週預けたりできないと思っていたので、諦めていました。 ところが、姑さんに何気にポロって言ったところ「それぐらい見といてあげるから、行っておいで。」と言われて、とても驚きながらも、めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。 リフレの学校説明会では、同時にエナジーワーク(パワーストーンを使ったハンドヒーリングとオイルトリートメント)というのを学べる説明会もされていました。 家に帰ってからリフレの説明しか聞いていないのに、エナジーワークの事が気になり悩んだ末、そちらの方に入学しました。 私は子供の頃から目に見えない世界に興味があり、そのエナジーワークが本当にできるようになれば、自分も周りも元気にできるし、それに不思議で面白そう! でも、本当かな?など、ぐるぐるしていたのですが、実際自分でやってみないとわからないし、行くしかないと決めました。 そしたら、初めて大阪で開催されるプログラムだったそうで、全国から色んなセラピーを学んだ人達が参加されていて、今まで知らなかったセラピーやスピリチュアルな知識を、その仲間達からも、教えてもらいました。プログラムが後半になってもエネルギーを体感できなかった私は、焦りと劣等感で落ち込んでいました。 それで、あのセラピストさんに相談したところ、波動の高いお水に触れることで、即解決!実はヒーリングスクールでも手をかざすのに疲れて痺れていると思い込んでただけで、ちゃんと感じていたということを実感する事ができました。 このことからも、自分の思い込みの世界を自分が作っていることに気づかせてもらいました。 アロマセラピーについても効果が、心や体だけでなく、エネルギー的な所にもある事を知り、より興味深く学ぶ事ができました。 そして、アロマ認定看護師となった事で、産婦人科病棟で産後のお母さん達に下肢のアロマトリートメントをさせていただける様になりましたが、導入まで簡単ではありませんでした。 なぜならそこは、女性フロアという感じで、出産はもちろん、ベビー室があり、婦人科で手術もあればターミナル、整形外科や内科の方もいらっしゃって、ただでさえ忙しいのにと、反対される方々がいらっしゃったからです。 そこで、看護研究(必ず各部門で院内発表をしないといけない)として導入することにしました。 スタッフ全員に休み時間や夜勤の時間を使って基礎知識と、実技指導をさせていただき、実施した結果する側も、される側も笑顔になって、アンケートの結果からも、とても喜んでいただけていた事を知ることができました。 しかし、その矢先、突然産科が無くなることが発表されました。効果を実感し、医療現場にもっとアロマを普及させたいと感じていたので、アロマ外来や他の科でも続けていきたいと提案しましたが、残念ながら叶いませんでした。 丁度その頃、家が古いので建て替えが必要と言われ、それならとサロン部屋を作り、退職したいと伝えると、これからローンを払って行かないといけないのにと反対されましたが、「死ぬ時に後悔したくないから、3年だけさせて欲しい。もし3年やってダメならあきらめるし、それまでに大変になったら夜勤のアルバイトでも何でもして、迷惑かけないようにするから」と説得しました。 サロンには妊婦さんや病気がある方も来てくれたらいいな~と思っていました。それは、自分が妊婦になった時に、いつも受けていたアロマトリートメントを断られ、しんどい時こそ受けたいのにと、とても悲しくなったからです。 それにその時に、病気の人も受けられない事を知りました。(今ではメディカルアロマが普及し、受けられるところが増えています。)でも、中々そういった方に来てもらえてないな~と感じていた矢先、偶然友人が置いていた私の名刺を見て訪問看護からお声をかけてもらい患者さんにアロマトリートメントを、させていただけるようになりました。 また、数名から訪問看護でヒーリングをされている所が、関東であることを教えていただき問い合わせたところ、タイミングよく私の住む関西に来られるとの事で、会いに行ったのがきっかけとなり、代替療法を取り入れた訪問看護を立ち上げました。 まさかそんな事になるとは思っていなかったので、何の知識もないまま思いだけで突っ走りましたが、周りに助けてもらいながら、なんとか立ち上げる事ができました。 訪問看護を始めてから3年たった頃、本当は気がすすまなかったのに強く勧められ独立し訪問看護会社の共同経営が始まりました。(子供の頃の母と私の関係に類似していた) しかし、始まった途端に、最初の話と違い、ホリスティックケアの普及活動のためのイベントや奉仕活動など利益にならないことは一旦中止するようになど強要されるようになり、自分が大切にしてきた方向性とのずれがどんどん大きくなっていきました。 また、それに関して従えない事での当たりがどんどんきつくなり、患者さんや自分を慕って集まって来てくれたスタッフの事を考えたり、今まで中心としてやってきた私ではなく急に騙し打ちの様に会社が出来上がってから方向性を無理やり変えようとする相手が去るべきで、なぜ私がこんな目に合わなくてはいけないのか?という思いにかられて、抵抗していたのですが、「人を呪わば穴二つ」遂に身体症状が出るまでになってしまい、師匠から自分が引いて自由に好きなことをするのがいいよと言っていただいたり、周り方々のサポートのお陰様で、全部お渡しして退くことを決意することができました。(今は自分自身が気づくために、母との関係と同じようなコンコントロールするような相手に対しての自分の被害者意識のドラマを自分で作ってその中にどっぷりはまってしまっていたんだと思っています。 相手からしたら、私の成長のため、会社の成長のために、変えることが一番と考えての事だったのに、それを理解しようとせず、意外と頑固な私に対して監視して正していってあげなくてはという思いが強い言動に現れていただけだったんだと感じています。そういったことに気づかせて頂けたり、新たな挑戦をするチャンスをもらえたので、このことがあって良かったと思っています。きっと、私がまた新たなチャレンジをするために、後ろの人たちにスイッチを押されて、そういう役目をしてくれたんだと思います。魂の気づきの為の大切なソウルメイトって仲良しだけではないそうです(笑)そして、自分の人生で大切に思っている事が『自分の心に従って挑戦しながら周りの人達と共に成長し、笑顔の輪を拡げていきたい』である事を再認識することができました。 また、気になっていた元患者さんや家族さんとも今でも連絡を取り合ったり、元スタッフさん達とは「ナースの夢を叶えるプロジェクト」というグループコンサルで、一緒に活動できたり、「命はいのち」というミュージカルに挑戦することもできました。 このミュージカルでは、余命わずかと医師に宣告された患者さんが、自分の命は自分で決める!というセリフもある様に、患者さん主体の医療についてのメッセージが込められており、とても共感したのと、 昔、劇団四季の『美女と野獣』を観た時に、あんな風にきらきら輝きながら人を楽しませ、そして楽しいだけでない心に響くメッセージを歌と踊りで伝えられたらと、思った事があったからです。 また、「生死 いきたひ」の映画上映と監督さんや看取り士さんの講演などのイベントを開催し、命や生きるという事を改めて考える事ができました。ネット番組の「スピリチュアルテレビ」では、毎月ホリスティックケアに関連した素敵なゲストさんを紹介させていただいているのですが、見ている人が情報を得たり、刺激を受けて「やる気スイッチ」が入るだけでなく、お話してくださるゲストさん自身も、ご自身の事を話すことにより、よりこれからしたいことが明確になったなどセラピーのような効果があり、私自身もぞれぞれの人生経験を聞かせていただける事で、自分の思い込みの世界を毎回広げてもらっていると感じています。 『ナースの夢を叶えるプロジェクト』では、医療従事者が元気に倖せになることで、患者さんや周りにも笑顔の輪を拡げて行くことをコンセプトに、元看護師で全国のみならず、海外でも講師活動などされている松尾英衣子さんと一緒に活動させていただきました。 『ナースサミット』では、登壇と出展させていただいて、たくさんのナースからやる気と勇気をいただきました。 また、予防の分野においては、クリニックでコア体操(体幹を鍛える)の指導や生活指導。通所型介護予防事業での健康管理を担当させていただきました。2019年7月には、クラウドファンティングで111%の達成、777000円のエンジェルナンバーの応援を頂き、ルミナス・ホリスティックケアセンターという自費でのアロマやヒーリングの訪問サービスを開始することができました。 今後は、全国にホリスティックケアを取り入れた訪問看護や、セラピストやナースの派遣、自分自身はアメリカで活躍されているホリスティックナースののように、日本初の病院専従のホリスティックナースとして活動していきたいなどの夢があります。 その他、緩和病棟やデイサービスでの赤ちゃんセラピー・ドッグセラピー・アロマやヒーリングボランティアもさせていただいたり、趣味のフラメンコ教室から、イベントや施設で踊らせていただいたりもしています。 これらすべて、人のご縁で運ばれて来た事柄なのですが、これからもそうやって運ばれてきたお話で、心が動いたものに、どんどん挑戦して行きたいと思っています。 そうして、自分の思い込みの枠を広げながら、得た情報や技術や経験を生かして、ホリスティックナースとして、自分も目の前のあなたにも更に笑顔になっていただけたら嬉しいな~っと思っています。 そのためにはまず自分の心の声を大切にしながら、「今、楽しい♪」をしていこうと思っています。私の笑顔があなたの笑顔にあなたの笑顔が周りを幸せにその笑顔の癒しの拠点になり笑顔の輪を広げていける看護師の育成を目指してまずは私たち看護師が癒しの存在となれますように。これからの私たちの生き方、あたらしい考え方のヒントと気づきを得て、希望あるホリスティックケアの扉をみなさんと一緒に開いていけたらと思っています。ほんまるラジオで上記のような事をお話させていただいています。【第323回】http://bit.ly/2XvWwbS【第587-596回】に渡ってお話させていただきました。http://honmaru-radio.com/tokyostarlight0587/よろしくお願いします♪
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