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現在の天理教は本来の輝きを失っているように思えます。救済が燎原の火を放ったように広がった時代は過去の栄光です。大正期の倍加運動によって教会数がバブル的に増えました。しかし丹精(魂の錬磨)ができなければ、神様も広げようがない。大伝統の各宗派は依然と盛んであり、スピリチュアルブームは一層広がっている。外から見ると末端教会が奮闘活躍する中で、今の教会本部、地場の体制はネポティズム(親族主義)で、真に実力や能力のある方が責任ある地位につけない体制かも知れません。コロナ禍で集金体制はさらに先細り、巨大な建物の維持費だけでも大変だと推測されます。黒門が取り払われ、学校施設のリストラ統合、部内の事情教会の整理などが進み、教団としての縮小均衡への動向にあるようです。「新しい天理教」を再建する方法論はどこにあるのでしょうか。教祖(おやさま)がはじめた道を、内からつぶすことのないように、この道が天保9年の天直接の啓示から開始され、「おさしづ」を大量に残された本席時代にさらに強化された史実を明らかにする必要があります。「裏は鍛冶屋に表は大工」で形容されるように、真柱と本席のツートップ体制が元来の道の組織でした。100年前に自称「機械」となられた本部員の茨木基敬(天理教北大教会の初代会長、旧長さん)様の家屋敷などの財産目録が本部に移転登記の完了が大正7(1918)年3月22日。3月23日に上田奈良糸様のおさづけの停止となりました。教祖の唯一の孫のご母堂様が、おさづけの運びを7月から始められました。また真柱が神意を授けるワントップ体制がすでに天理教教規にも規定されていたそうです。こうして1918(大正7)年には神意に基づかない霊性なき天理教の歴史の歩みが決定づけられたのではないでしょうか。神屋敷の実体を喪失したお地場では存命の理は形骸化しました。「草がしこりて道知れず」とはまさに今のことです。存命の理を体現する「神の機械」がいません。天啓とはすなわち異端だと決めつける人間思案(癖の心)がはびこり、自分で自分の首を絞めている体制が温存されています。 部内でもたびたび神秘家、天啓がよく現れます。助蔵事件・水屋敷事件など。それでは、教祖存命の理を体現する「神の機械」とは何でしょうか。道を照らす啓示の光を失った地場屋敷です。神様は仕方なく、地場から離れ、裏の道を用意せざるを得なくなりました。免職された茨木基敬さんの残された膨大な神の詞(言葉)が残されています。そして続く啓示が代々細々と守られて、100年以上たちました。「人は代われど、理は一つ」すなわち啓示の永遠性、世界救済のサステイナビリティの根源が細々と続いていることを皆様と共に探究していきたいと思います。地場本来の世界救済の根源の道への復元、「第二の天保9年」を目指して、届かぬながら公開の理の元で討議できる資料を出したく存じます。大学院において宗教学で挫折体験のある社会科学系の研究者。米国留学の体験あり。50歳で出直すところ、借り物の寿命延長に感謝している理の探究者。前生もお道にご縁があったと悟っている。 2022.8.12
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