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はじめまして。昨年神戸大学経済学部に合格したせと、といいます。発達障害(ADHD)を持ちながら、うつを乗り越えて1年の浪人を経て昨年無事合格することができました。受験を意識し始め、「勉強しなきゃ!」と思うものの、「でも、できない、 やる気がでない...」「俺はなんてダメなやつなんだ...」と自分を責め続けていると、ストレスが溜まり、ますます「勉強に集中できない」「やる気がでない」「モチベーションが上がらない」という負の連鎖におちいってしまいます。そんな負の連鎖におちいっている「あなた」のために、このブログでは普通の人が難なくできることが、努力しないとできない発達障害の僕だからこそ構築できた、「誰でもセンター試験80%を 超えて、偏差値60以上の 難関大学に合格できる方法」を紹介していきます。かなり強力なノウハウです。このノウハウは、文系、理系、また、志望大学の偏差値に関係なく使えます。それは、この勉強法が勉強を直接教えるものではなく、勉強のやり方を含めた、「受験に打ち勝つノウハウ」だからです。そのために具体的な僕の合格までのプロセスを紹介させてください。発達障害(ADHD)の症状の中で受験において、もっともやっかいなのは集中力、注意力がなく凡ミスが多いことと、勉強をしてもなかなか成績が伸びないことです。僕は昔からADHDの症状がありました。「人の話を聞けよ!!」よく言われます。「こっちも一生懸命聞こうとしとんじゃ!!」いつも心の中で叫んでいます。でも声には出しません。だって「言っても理解してもらえないから。」凡ミスも多いです。最近の話で言えば、浪人したので先日成人したのですが、300人近く集まる高校の同窓会で、1人だけ私服で行きました。友達「なんでお前だけ 私服なん、しかもラフすぎ!!」僕「は?誰もスーツとか 言ってなかったやん!」友達「LINEに書いたし。」僕「え?」こんなことはしょっちゅうです。思い込みも激しいです。自分の考えを疑うことが苦手です。うつを乗り越え、受験も終えた今では、「おっちょこちょい」という言葉で済むかもしれません。笑い話にもできます。でも、受験において凡ミスは決して「おっちょこちょい」では済まされないのです。============「大学受験は 高校受験ほど甘くない!」そう考えた僕は、高2から本格的に勉強を始めることを決意しました。がしかし、「一向にやる気が起きない」「俺はなんてダメな人間なんだ...」そう自分を責める毎日が続きました。勉強する気は起きないものの、「有名な大学に 入らなければならない。」という強迫観念とも言える感情がいつも僕を取り巻いていました。なぜだかわかりますか?人付き合いも、スポーツもできず、女の子にも持てなかった僕には勉強していい大学に入ってお金持ちになるしか残された道はなかったからです。社会的な存在価値を認められるには勉強しかなかったからです。「努力は才能を凌駕する!!」そんな幻想を当時の僕は抱いていました。遊びにも行かず無理にでも机にしがみついて使える時間は全て勉強に回しました。しかし、生まれながらの呪いがいつも僕の邪魔をします。「あれ?世界史のここ 2時間かけて勉強したけど、 過去問1回もでてないし。 最悪やん!!」覚えが悪いだけでなく、注意力もないため必要のない勉強ばかりしてしまうのです。どこを勉強すればいいのかもわからず、ちまたにあふれる「一発逆転勉強法」的な本を買いあさって読んでました。それらに載っている「秘密の参考書」の類もたくさん買いました。加えて、いわゆる「東大生が勧める勉強法」なども試しましたが、どれもうまくはいきませんでした。でも、時間は待ってくれません。高3にもなると周りのやつらも勉強を始めます。いつも明るくて、クラスの中心にいるような、いわゆる”イケてるやつら”リア充にどんどん追い抜かれて行きました。「確実に勉強時間では 俺の方が多いのに」いつもそう思っていました。まじで死ぬほど悔しかった。人間関係も全部断って勉強に専念しました。高3の6月に文化祭があったのですが、文化祭にもかかわらず、一人朝4時半に登校していつも通り勉強していました。学校の電気をつけるのはいつも僕でした。でも、成績は一向に伸びませんでした。「あいつって誰とも話さず めっちゃ勉強してる 割に頭悪いよな」周りにそう思われてるんじゃないかと思うと一層つらかったです。今思えば、マーカーで線を引いたり、ノートをきれいに整理することで勉強した気になっていただけだったのだと思います。「このころからでしょうか?」うつ病というさらなる呪いが僕に降りかかってきたのは。センター数学。見間違い、計算ミスは命取りです。何度も見間違いがないことを確認して次へ進みます。それでも計算をしてみると数字が枠に合わない。「いったいなぜでしょうか?」「何度も確認したにも関わらず、見間違いをしていたからです。」3を4だと見間違えます。見間違えるというより、頭の中で勝手に3→4に数字が変換されるのです。センター2ヶ月前にもかかわらず、数学1A、2Bともに平均50点の壁を超えられませんでした。英語の長文を読んでいると必ず「夢の世界」へ行っていました。「こいつなんか 本当に死ねばいいのに。」自分に対して心からそう思いました。この世で1番嫌いなのは間違いなく自分自身でした。「なんで俺だけ...」「なんで」「なんで」「なんで」「なんで」受験とはまったく関係のない自分の不幸な点ばかりが頭に浮かんできて自分の行動を制御することができません。「うちは父親が自己破産をして 母親がうつ病で 他のみんなみたいに 物心ついてから親の愛情も 満足に受けず 塾にもいかずまともな 教育も受けてない...」実際には、まったく愛情を受けていないなんてことはなかったと思います。でも、そう言っても当時の僕は聞く耳を持たないでしょう。いきなり通学中の電車の中で過呼吸状態になり人目もはばからずに、荒く息をもらし肩で呼吸をしながらうずくまってしまう日もありました。「落ちるのではないか」いつも嫌な考えが頭をめぐり、「勉強に集中できない」日々が続き頭が混乱してしまい「自分がなぜこんな 感情になっているのか」さえも理解できませんでした。 ・ ・ ・ ・ ・ ・当然、1年目の受験は失敗に終わりました。親にお金は使わせないというプライドを捨てて予備校に通う決意をしました。予備校には入学試験があって、それでいい成績を取れば学費が免除、あるいは、安くなります。しかし、この時の僕はボロボロで、もはや勉強をする気力を持ちませんでした。幸せとは何かをずっと探し求めていた気がします。そんな人生のどん底にいた僕を救ってくれたのは、インターネットで知り合った1歳年上の女性でした。彼女はうつ病で不登校になりながらも、現役で僕の当時の志望先である大阪大学外国語学部に合格していました。彼女が僕と同じようにADHDだったかどうかは確認できませんでしたが、勉強しても成績が上がらないという同じ悩みを抱えていました。僕が彼女にメールで連絡を取ると彼女は丁寧に相談にのってくれました。でも初めは、「大学生なんて高校の先生よりも 学問の経験も浅く、 受験のプロでもないのだから、 あてにしていいのだろうか?」そういう先入観を持っていました。「俺は地頭が悪いから 何をやっても無駄だろ。」そう思い、いっときは、失礼なことに話半分で聞いていました。でも、質問を重ねていくうちに、僕が「地頭が悪いから、 ADHDだから。」と諦めていたことがただの思い込みであることを、次々と指摘してくれました。勉強だけでなく、モチベーションの保ち方、本番へ臨むときの心の持ち方、体調管理の仕方まで全てにおいてうまくいくやり方、考え方が存在することを彼女から教えてもらいました。目から鱗が落ちる思いでした。「それだけ自分を追い込んで無理をすれば誰でもミスをするよ!」「なんて優しい言葉なんだろう。」そう思いました。それから、僕の心境はすこしずつ変化し始めました。落ちたことで1度は努力不信論者になった僕ももう一度努力ができるようになりました。思考の整理ができず、苦手だった数学も0からやり直そうと思えました。断ち切った人付き合いも、もう一度勇気を持ってやり直そうと決意できました。なにを勉強すればいいのかわからなかった僕が「ここを勉強すれば合格点を取る確率を極限にまで上げられる!」と判断し、効率よく勉強できるようになりました。苦手な数学でぱっと見、解法の思いつかない問題も解けるようになりました。古文では、四季あふれる美しい物語の情景が頭に浮かぶようになりました。そしてなんと、模試で大阪大学経済学部「B判定」神戸大学経済学部「A判定」を叩き出せるまでになったのです。2年間独学で猛勉強してセンター試験66.5%しか得点できなかった僕が、5月に彼女と出会ってからの半年で82.2%得点できるようになったのです。2年目のセンター試験、「もう絶対失敗できない!!」というプレッシャーのかかる中で、です。なぜ、ADHDを持つ僕がうつ病を克服し、ADHDゆえに苦手だったセンター試験において本番で自己ベスト「781/950点(82.2%)」を記録し難関国立大学に合格できたのでしょうか?それは、僕の高校の2年間にわたる地獄のような受験勉強の量や時間、浪人してからの努力ではなく、同じ受験生であった立場から彼女がかけてくれた優しく、的確な言葉の数々でした。暗闇をさまよっていた僕の人生にやっと光が射した気がしました。灰色の人生に初めて色彩を感じました。「もし彼女と出会えてなかったら 俺の人生は どうなっていたのだろう?」考えただけで、恐ろしくてたまりません。でも、誰もが僕のように、彼女のような人に出会うことができるわけではありません。だから僕は、僕のように受験で苦しむ人を救う立場に回ることを決め、彼女に教えて貰ったノウハウを誰でもできる形へと作りかえ、体系化したのです。僕の2年目の志望校は第1志望:京都大学第2志望:大阪大学第3志望:神戸大学でした。発達障害の僕でもできたノウハウなので、健常者が行えば必ず京大、阪大に合格できます。本当は、『京都大学』『大阪大学』に行きたかった...。あなたには、ぜひ僕の仇を討ってほしいです。これは僕の恩返しであり、過去の自分を救う行為でもあるのです。僕の場合は、自分の納得のできる大学に受かってからの1年の間でいろいろなことをしてきました。内気でスポーツもできませんでしたが、「何か新しいことを始めよう」そう思いダンスサークルに入り、ブレイクダンスを始めました。先月のショーでは、曲の一番最後のサビの部分でステージの上でスポットライトを浴び、なかなか習得できないと泣きながら半年以上も練習をしてきた大技を披露しました。サークルのみんなに名前を呼ばれ注目される中で披露するウインドミルは、最高に気持ちよかったです。ショーの後はいつも、家に帰ってから夜中の2時ぐらいまで、友達に撮ってもらったその日のショーの動画を永遠と見ています。人間関係の苦手だった僕もバイト先では人生で初めて、なんでも話せる人間関係が築けました。仕事中は僕がミスをするたびに厳しい言葉も使うけれど、ひとたび、仕事が終わると必ず「今日もよく頑張ったな」といってくれる、縦にも横にも大きな、本物の父のようなマスターがいていじり、いじられで、かなりむかつくけれど、本物の兄弟のような女友達が二人います。バイトが終わると、マスターが残りの食材でまかないを作ってくれて、お客さんが帰り静かになった落ち着いた雰囲気のお店の中で、テーブル席に座り、まかないを囲んで、テレビをつけお酒を飲みながら、スマホのアプリで遊んだりして盛り上がっています。したってくれている、同じ学生寮の仲間もできました。毎日がくそ楽しいです。「あなたは勝ち取った4年間を どう使いますか?」僕と出会った以上、「あなたはもうたかが受験ごとき に屈することはありません。」「もはや人生の 負け組でもありません。」「必ず救ってみせます。」「僕と一緒に 希望の光を見ましょう。」============受験にお困りの方はあなたの『悩み』『相談』『知りたいこと』などなんでもいいのでadg3748@gmail.comまで、メールください。^^
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