ブログをブロックする
ブログを報告する
インド人。東インド、オディシャ州プリー出身。1990年来日。特定非営利活動法人インド日本友の会、代表。日本とインドの文化・教育・観光・経済・食の分野で両国の架け橋となる活動をおこなう。京都市国際観光大使。バラナシ市(インド)親善大使。令和2年度外務大臣表彰。故郷、インド・オディシャ州プリーと日本の京都でChandra Sekhar Academy(日本語教育を取り入れた幼稚園から高校のインド式教育 英語教育学校)を運営。俳優の松平健さんに似ていることで多数メディア出演。日印友好の架け橋となる様々な活動についてもテレビ・ラジオ・新聞から取材多数。-------------・インドの日本人宿「インド・サンタナ」が原点。ヒンドゥー教聖地で300キロ砂浜が続くベンガル湾沿いにあるインド・オディシャ州プリーが私の故郷。そのプリーで1952年に父が外国人向けのゲストハウスをはじめました。特に日本の方に気に入っていただき今では有名な日本人宿「インド・サンタナゲストハウス」として知られるようになりました。デリー・バラナシに支店あり。「地球の歩き方」などにも掲載。「インド・サンタナ」は、インドの窓口としてインド各地の情報や安全と安心、心地よいサービスを提供し日本人同士で交流を深めあったり現地の方とふれあうことができる様々なイベントのほかインドの語学・音楽・ヨガなどの留学もサポート。インドでの滞在を楽しんでもらうためのお手伝いをしています。またゲストハウスの売り上げの一部は現地で運営している学校に寄付されています。・独学で日本語を学びダジャレが大好きに。私は子供のころから人が大好きで、父が経営するサンタナゲストハウスで、多くの日本人観光客のおもてなしをするなか日本語や日本の文化・マナーを学び日本に憧れ1990年日本の友人に会いに初来日、日本各地を訪れました。このとき日本の友人達があたたかくもてなしてくれたことで、さらに日本が好きになり、日本とインド両国の文化・教育・観光・経済・食など、それぞれの国で広げていきたいと強く思い、1993年に再来日。・日本で食を通じて交流をおこなうためインド料理店をオープン。日本では、日本とインドの交流の第一歩として、食を通じての交流をしたいと思い、神戸でインド料理店をはじめました。しかし、ほどなく阪神淡路大震災で被災、失意の中インドに一旦帰国。その後私のお店で提供していたインド料理の味をもう一度味わいたいとお客様から強いご要望をいただき、大阪・道頓堀に再度オープン。お笑いの文化にあふれた場所柄、たくさんの吉本や松竹の芸人の方にお越しいただきました。また歌舞伎座も近かったので、歌舞伎俳優の林与一さんはじめ多くの芸能人の方との交流を深めることができました。・日本のメディアに出演。お店にお越しなるお客様から次第に私が松平健さんに似ているとおっしゃっていただくことが増え、メディアから取材が多数きました。マツケンサンバがはやった時代でもあり「笑っていいとも!」や「アッコにおまかせ」、「たかじんのそこまでいって委員会」「世界いってみたらホントはこんなトコだった!?」などテレビ番組をはじめやラジオ、新聞、雑誌などにもとりあげていただきました。・インド料理店を通じて日印交流を深める。私が日本のメディアを通じてインドと日本の文化、教育などについて発言することで、いままでインドに興味がなかった人もお店にお越しいただきお話するなかで、旅行、ビジネス、教育などインドとの交流を希望される方が増え、橋渡しなどお世話させていただくようになりました。またお店でインド人に日本文化や日本語を教えてくれたり、日本人にインドの踊りや音楽、ヨガなどを教えたりと両国の交流が深まっていきました。・インドで日本語・日本文化やマナーを教えるインド式教育英語学校を開校。2004年故郷オディシャ州プリーにおいて、幼稚園から高校「チャンドラ・セカール・アカデミー」を開校。私のように他国の言語や文化を理解することで将来の可能性を広げてほしいと思い、幼いころから日本語教育や日本文化・マナーを教えるカリキュラムを取り入れているほか、日本文化を紹介するイベントを開催したり、日本の学生のインターンシップの受け入れ、日本企業のインドでのリサーチ、メディアの取材のコーディネートやサポート、これらに関する翻訳、通訳など様々な分野における交流をおこなってきました。・交流の幅を広げていくためNPO設立。2006年に「特定非営利活動法人インド日本友の会」を設立。現在まで、日本とインドで草の根的な食・文化交流・イベントなどを多数開催、両国の架け橋となる活動をおこなっています。主には日印文化協定締結50周年の2007年「日印交流年」、2012年の「日印国交樹立60周年」という大きな記念年イベントに参加。インドでは、黒澤明監督の映画上映と石見神楽と和太鼓の日本祭り開催。日本ではインドの舞踊、音楽、映画、サンドアート祭り、インド料理店出店などのイベント開催をおこなったことでテレビや新聞などにもとりあげていただくなど両国民の交流を深めることができました。・外国人のためにふり仮名をふった書籍発行。2011年 日本語を勉強している外国人に日本の事をもっと知って欲しいという思いから、荒井 正吾奈良県知事、橋下 徹氏など北海道から沖縄まで日本各地にいる25名の著名な方に得意分野(文化・教育・経済・食・政治等)について伝えたい事を書いてもらい、その文章の漢字の上にふり仮名をふった「みんなの日本」~all about japan~という本をつくりました。私の願いは、この本が日本の事を勉強したい外国人の為に役立ち、また日本語学習中の外国人に役立って欲しいという事です。この本が日本に興味のある外国人や、また、日本人であっても日本の色々について再認識してもらえるきっかけなれば嬉しく思います。私の使命は、この会を通じて両国の文化・教育・観光・経済・食の幅広い分野で両国民のサポートをしていくことと思っています。【プロフィール】1969年 インド オディシャ州プリー市生まれ1990年 初来日。和歌山県から全国をまわり関西でインド料理店経営2004年 オディシャ州初となる日本語教育を取り入れた幼稚園から高校までの英語教育学校 Chandra Sekhar Academy (チャンドラ・セカ ール・アカデミー) を故郷プリーで開校2006年 特定非営利活動法人インド日本友の会 法人格取得。現在まで日 印の文化・教育・観光・経済・食の分野で両国民の相互理解を深めるため両国でテレビ・新聞・ラジオなどに出演しながら通訳、講演会、日印交流イベント開催2014年 Om Yoga International Center(全米ヨガアライアンス認定校) プリー校 副理事長 就任2015年 インド人初、京都市国際観光大使 拝命2017年 インド バラナシ市親善大使 拝命2018年 チャンドラ・セカール・アカデミーの分校で、関西初となるCBSE カリキュラム(インド式教育システム)国際学校 Chandra Sekhar Academy International School (チャンドラ・セカール・アカデミー・インターナショナルスクール京都校)開校2019年 日本で即戦力となるIT人材育成のためのITセンター Techno India - Chandra Sekhar Academy IT Centreと日本語と日本文化を学ぶ学校 Japanese Language Centreインド校開校2020年 12月 Om Yoga International Center(全米ヨガアライアンス認定校)京都校 開校2021年 ITスクール奨学金制度開始Techno India - Chandra Sekhar Academy IT Centreにおいてコロナ禍によりITを学ぶための授業料が払えない青年のために日本企業のご協力により奨学金制度を取り入れ2021年から第1期生が学びはじめる【主な表彰】2016年 8月 インド オディシャ州政府表彰 Award 70th Independence Day Celebration 20162020年12月 日本国 令和2年度外務大臣表彰 受賞-------------今後は、インドにおいて日本の即戦力となる優秀な人材を育成、日本での就職を目指してサポートしていきたいと思っています。そして日本企業がインド進出の際に必要となる通訳のほか日本のメディア取材など、インド現地でのコーディネートやサポートなども継続しておこなっていきますので、お気軽にお問い合わせください。みなさん、これからはインド!そして日本とインドを一緒に盛り上げていきましょう。-------------もっとくわしい私のプロフィールはこちら☟お時間あるとき見てください!-------------インド・オディシャ州プリーで外国人が泊まる宿「サンタナ」を父が1952年に始めて現在デリーとバラナシに支店があります。故郷オディシャ州は、4大都市のコルカタから海岸沿いを南に500キロ下ったインドの東南のベンガル湾沿いに位置し、温暖な気候と陸、海、空を介して複数の国に輸出が可能という地理的に恵まれた場所で、世界地図で見るとインドの中でも日本よりに位置しています。人口は約4,500万人、面積は日本の約半分の155,707km2。 水に恵まれた広大な国土と天然資源として石炭・クロム鉱石・ボーキサイト・鉄鉱石・マンガン・雲母・チタン鉱石また海洋性天然ガスなど豊富に産出され、これらの資源の有効活用により州の発展につながると思っています。プリーは、ベンガル湾沿いの480 kmにわたって続く海岸沿いにあり、インドの中でも四大聖地のひとつとして知られており、毎年開催される山車祭りは、京都の祇園祭の由来とも言われています。また、世界遺産と数多くの仏教遺跡や大自然に恵まれている為か、世界中から多くの観光客が訪れています。私は子供の時から父の経営する宿を手伝っており、お客様のなかでも、日本人の宿泊者が多かったので、自然と日本人の性格やマナーなどを見て日本への興味を抱きました。子供の時から非常に好奇心旺盛であったこともあり、社会や文化、他国の言語などを独学で学びたいという気持ちが非常に強く、このことから日本語を習得して、将来、日本へ行ってみたいという希望を持ちました。そして1990年2月から6月まで、インドで知り合いになった日本人に会いに初めて日本に行きました。その時には、和歌山や他にも日本人の友人の所など日本各地に行きました。友人たちは、みんな温かく迎えてくれ、本当にうれしかったです。できれば、そのまま日本に残りたかったのですが、まだ19歳でしたし、インドの両親には観光目的で行くと伝えていたので、一旦インドに帰る事にしました。そのときから、日本へ行きたい気持ちにかわりなく、ずっと心に残っていましたので、1993年に再び、日本に行く事を実現できた時には、心から感動しました。来日してからは、日本各地で色々な日本文化を学び、多くの日本人と話をしました。その時に感じたのは、日本人がインドへのちょっと間違ったイメージを持っている事でした。(例えば、インドは年中暑いとか、毎日カレーばかり食べて飽きないの?とか、毎日、辛いカレーを食べて大丈夫なの?とかです。)私が答えていたのは、日本人が味噌汁を飲んでいる事とインド人がカレーを食べる事は一緒であり、またインドのカレーは辛いだけでなく、それぞれのカレーにそれぞれの味があり、唐辛子は辛いけれどインドのカレーには唐辛子だけではなく、体に効果のある色々なスパイスが使われている、というようなことでした。例えば、インドのカレーに多く使われるウコンには、殺菌作用や肝臓の働きを良くする効果等があります。このように私は日本人のインドへの質問に対して答えながら、日本人にインドについての正しい知識を持ってもらおうと話をしていました。そして、口からの文化交流をはじめようと思いました。まずは、人々の交流場所を作り、様々な交流をすること、自分の国の料理をおいしく食べてもらう事、それが自分の国への理解を深めてもらえる事につながると思ったからです。そして、1994年に「クンナ」という名前の交流場を、神戸の異人館の隣ではじめました。1995年阪神淡路大震災で被災しました。しばらくは、地震の影響でいろいろと大変でした。その後、友人たちの協力で、なんとか大阪のミナミ(西道頓堀)で、交流場としてお店を開けることができました。道頓堀の東側は、有名なので人通りも多いのですが、そのころ私のお店がある道頓堀西側には人通りが少なく大変でした。人を呼び込むため東側に出向き一人一人に声をかけ店のチラシを配り続けるなか、西側の自分のお店にお客さんが少しずつ来てくれるようになったため、知り合いとなった西道頓堀の地元の方々に声をかけさらに西側を盛り上げるため「みんなのミナミ」という西側のお店を掲載した食べ歩き本を2003年から2005年の3年間続けて製作しました。この本をみんなで配って、西側にお客さんが増えるような活動をしました。この時期は、まだインターネットでお店の検索をすることやフリーペーパーもなかった時期でしたが、私たちは、西側に人通りが少なく暇だから待っているのではなく、みんなで協力し食べ歩き本(みんなのミナミ)を製作しました。また地元のみんなで力をあわせて取り組んでいる姿に、隣の町のひとたちも大変感動していました。また、この出来事にマスコミも取り上げてくれました。もうひとつは、私が松平健さんに似ている事で、いろいろな番組に出る事になりました。例えば、笑っていいとも、あっこにおまかせ、宮迫さんの世界行ってみたらこんな所だった、ひるどき、探偵ナイトスクープ、たかじんのそこまで言って委員会、おはよう朝日です、NHKのぐるっと関西、NHKのニュース、あまからアベニュー、ちちんぷいぷい、せやねん、ほんわかテレビ、なにわ友あれ、魔法のレストラン、つるべさんのぱぺぽ、しっとこ、円さんのよーいどん、ワイドABCです、ミヤネ屋、あさすま、きらきらあふろ、はらぺこ亭、ほかいろいろたくさん出る事になりました。このような番組に出た事で、お金持ちと思っている人たちもたくさんいると思います。ただ、メディアを通じて多くの方々に、インドと日本について日本全国により早く伝える事ができたこと、日本で「インドブーム!」が起こせたことについて、この場をかりて、メディア関係者の方々に感謝しております。現在では、日本の小さな町でもラーメン店と同じ感覚でインド料理店も見かけるようになりました。私が外国人という抵抗があったかもしれませんが、このような活動をみて、町内の方からお誘い頂き、道頓堀町内会役員にもなりました。おそらく、外国人を町内会役員に選ぶ事は、はじめてのことでした。歴史ある町内会に、私を受け入れてもらえたこと、心より感謝しています。益々、日本のために力を入れ、頑張っていこうと思いました。そのときに、ミナミをきれいにすること、道頓堀川沿いの歩く歩道をつくることについて、また安全な街づくりについてみんなで頑張りました。こうした活動により、道頓堀が川沿いで東側と西側がつながって、歩く歩道ができたり、外国人も多く訪れる様になり、新しい顔の道頓堀に生まれ変わりました。この時期には、大学や専門学校、高校などでもインドについての講演をする機会を多くいただきました。これまでの自分の経験した事、インドの現状などついてギャグを交えながら話をしました。徐々に、日本の学生がインドでボランティア、インターシップを希望する声が多くなりましたが、言語の問題などあり、なかなかインドで日本の学生を受け入れてもらえる場所が少ないということを聞いておりました。そこで、インドで日本の方を受け入れる場所をつくること、故郷のオリッサ州に恩返しをしたい気持ちがずっとありましたので、2004年に故郷プリーでチャンドラ・セカール・アカデミーという父の名前をつけた学校を開校しました。インドの大都市では近代化が進んでいる一方で、プりーではまだまだ一般の人々の生活は困窮し、子供たちの教育より労働を優先するため、就学率が低くなっています。このような状況の子供たちが一人でも多く学校に行けるよう支援をするためにこの学校を設立しました。学校は、2015年現在、幼稚園から高校までになりCBSEの英語教育の学校です。この学校の特徴として、英語教育の中に、日本語と日本文化も教えています。この取り組みは、この学校の生徒が日本の大学に留学することや日系企業に就職することにつながるように考えています。将来インドと日本の架け橋になるよう期待しています。多くの日本人ボランティアの方々の支えのお陰で、現在まで成り立っています。日本語教師の資格がなくても、日本の文化(折り紙、音楽、スポーツなど)を紹介したい方も大歓迎です。期間は、短期からでも構いません。インドの学校で、子供たちと日本文化を通じて交流してみませんか。2006年には、インドと日本のよりよい関係をつくるために、特定非営利活動法人インド日本友の会をみんなで設立、代表に任命されました。みんなに声をかけて、40人ぐらいで、インドで日本文化紹介のため、インド日本親善ツアーを行いました。そのときのメンバーには、俳優の林与一さんもおられ、日本舞踊を披露してくださいました。2007年は、日印交流年の記念の年で、インドと日本の両国で、インドで日本の祭りと日本でインドの祭りを開催しました。奈良県大和郡山市のやまと獅子太鼓と島根県浜田市の石見神楽・西村神楽社中の皆様40名でインドに行き、オリッサ州の3都市で日本文化公演を開催しました。その恩返しとして、日本にインド子供舞踊団を招き、インドに行ってくれた2団体の町、島根県浜田市の浜っ子祭りで公演したり、奈良県大和郡山市での公演の他にも学校、病院、東大寺、薬師寺など日本各地30箇所で公演を開催し、インドと日本の交流を深めました。また、大阪岬町で、サンドアート祭りも開催しました。2008年は、オリッサ州農業大臣が日本視察に来られ、東京、京都、奈良、大阪、和歌山、神戸、広島などの各地を通訳として、大臣に同行しました。2008年までは道頓堀の相互タクシーの隣で西道頓堀のネオンの下の所でお店をやり、奈良の大和郡山に縁があって(大和郡山にあるやまと獅子太鼓を2007年の日印交流年の記念祭開催のためインドに連れて行ったこと)、そこの人たちの協力で、2009年に、お店と一緒にインド日本交流センターを設置しました。2010年のせんとくん事業の一つとして、東大寺の大仏開眼をした僧呂は、インド僧の菩提センナといい、奈良の大安寺から東大寺まで当時を再現するようにパレードが行われ、私はインド僧の菩提センナ役として参加しました。2011年に、多くの日本に興味がある外国人に、日本の事をもっと知って欲しいという思いから、北海道から沖縄まで日本各地の25名に得意分野(文化・教育・食・経済・政治等について伝えたい事を書いてもらい、その文章の漢字の上にふり仮名をふった「みんなの日本」~all about japan~という本をつくりました。私の願いは、この本が日本の事を勉強したい外国人の為に役立ち、また日本語学習中の外国人に役立って欲しいという事です。この本が日本に興味のある外国人や、また、日本人であっても日本の色々について再認識してもらえるきっかけとなることを信じています。そして、この本を通じてはじめて日本を知り興味をもった外国人の旅行者が増えれば幸いです。 この本については今後も続けて出版していきたいと思っておりますので、皆様の貴重なご意見をお待ちしております。 改めて、この場をお借りして、この本にご協力いただいた全ての関係者の皆様に感謝申し上げます。2012年の1月ぐらいに、インドにいる80歳の父の病状が悪化し、インドには保健制度がないため、治療費は自己負担で、私は長男ですが長い間日本にいてしまったことで、父の思いは宿を継いでもらいたかったが、わたしがいろいろな夢をもって日本に行ってしまった事、私は日本のお店を任して、いまこそ親孝行をしたいと思いインドに来ました。今年は日インド国交樹立60周年の記念の年ということもあり、インドで父の面倒をみながら、日本のPRもやりたいと考え、今現在私がお世話になっている奈良と京都から始めようとおもいました。2つの町には、仏教のお寺がたくさんあること、こちらのオリッサ州にも仏教遺跡やお寺が多くあるというつながりと、奈良県からいただいた観光パンフレットとPRビデオを上映し、奈良のPRをおこないました。京都・祇園祭りの由来は、ここオリッサ州プリーで毎年開催されている山車祭り・ラタヤットラといわれています。そのラタヤットラの時期に、京都のひとたちが来られ、みんなで小さい山車をつくり、山車を引きました。日本映画祭を開催し、現在の日本と昔を紹介する黒澤明監督の作品を上映しました。そのほかにも、和太鼓演奏、折り紙・写真展をかいさいしました。その後には、アジアベースボールチャンピオンシップがオリッサ州で開催され、アジアの子供たちが参加し、その手伝いと、参加したアジアの子供たちが私の学校も訪問してくれ、子供たちに野球を紹介してくれました。そのほかに、神戸大学のアイセックメンバーの方と京都文教大学の学生が、スタディツアーで私の学校に来てくれました。日本語教師のアシスタントと子供たちに日本の遊び紹介(折り紙など)や、インドのサンドアートを習ったり、プリーブランチのマザーテレサ障害施設で食事介助や食器を洗ったり、また日本のゴミのリサイクルやゴミの分別について子供たちに教えたり、他にインドの大学の訪問をしたり、今までは日本語が出来ないと日本の大学に留学できないと思っていたことが、日本のグローバル30の13大学では英語での授業が可能となり、日本語ができなくても留学ができるようになったことについてのPRをしていました。私が、長くインドにいて、父も安心し、病状も安定してきました。私は、長い期間インドに滞在したことで、親孝行ができ、また日本のPRもできたこと、大変うれしく思っています。ただ、この半年間は、ずっとインドに頭をいれており、日本にいる人たちは、私が日本に来ない、インドに帰ってしまったと思っている人が多くいます。はじめの1月から4月までは、父の病気のことでインドと日本を行ったり来たりしていましたが、あまりに交通費がかかりすぎるので、4月以降からは、ずっとインドにいて、父の病気をよくすること、日本のPRをすることを決めていました。その後、父の病状は安定していましたが、インドと日本の行き来で日本のお店を継続することは困難になり閉店しました。今後は、父の病状を見ながらインドで日本のPRと日本でインドのPRをしていくことにきめました。その後、一旦落ち着いていた父の病気がかなり悪化し、2014年5月5日こどもの日(月曜日)午後1時頃亡くなりました。偉大な父を失い、本当に寂しくてたまりませんでした。この悲しみを乗り越え、これからも、学校や講演会やセミナーなどで、私のこれまでの生き方について伝えたり、インドに進出を考えている方へのアドバイスやサポートを行ったり、また、インドでは、日本の大学生のスタディツアーやボランティアを支援していくことや、インドの学校を拡大し日本語にもさらに力をいれ、日本語の普及に努めることやインド人の日本留学や就職の紹介、インドで日本の祭り、日本でインドの祭りを開催し、両国の絆を深めていく、こうした活動を続けていきます。2014年にプリーでヨガの学校「オーム・ヨガ・インターナショナルセンター」を設立し、様々なインストラクターのコースがあります。2015年「世界一大きな絵2020」プロジェクトに参加しました。1つの国から1つの絵として、インドではチャンドラ・セカール・アカデミーが選ばれ、5メートルx5メートルの布に、全校生徒250名みんなで、オリッサ州とインドをテーマとして絵を描きました。2020年の東京オリンピックの会場に飾られる予定でしたが、コロナ禍により2024年フランス・パリので会場で飾られる予定となりました。日本側では、和歌山県の白浜砂祭りにサンドア-ティストと一緒に作品をつくり、優勝しました。2015年11月3日(文化の日)には、京都国際交流会館で、門川大作 京都市市長より、インド人で初めて京都国際観光大使に任命されました。(京都市とバラナシ市のパートナーシティ)2016年には、インドの代表としてチャンドラ・セカール・アカデミーの生徒たちが「志教育プロジェクト」に参加しました。生徒たちは、より良い世界を創るため、自分自身の志を布に寄書きしました。これも2020年東京オリンピックのスタジアムで披露される予定したがコロナ禍によりキャンセルとなってしまいました。日本側では、去年に引き続き、和歌山県の白浜砂祭りに参加し、優勝しました。2017年、日本の外務省の招待を受け、JENESYSプログラムに生徒3名と先生1名が参加しました。これまで、日本語教育に力を入れてきたことで、このような大きなチャンスを頂き、参加者には大変名誉な事となりました。日本の東京、北海道を訪れ、ホームステイなどを通じて実際の日本を体験し、無事に帰国しました。関係者の皆様に感謝申し上げます。2017年は日印友好交流年の認定事業として、インド・オディシャ州で”日本祭り&プリー・ロック・フェスティバル2017”を3日間を開催、さらにサンドアーティストSudarsan Pattnaik氏により日印友好交流年記念サンドアートを制作しました。日本側では”インド祭り”を5月から6月に開催します。今後共、文化交流を通じてインドと日本の懸け橋となれるよう、更には教育を通じても交流を図っていきます。日本の京都で、外国人の子供むけに、英語教育と日本語教育も取り入れた学校を開校する目標で頑張っていきたいと思っています。現在のインド・オリッサ州プリーにあるチャンドラ・セカール・アカデミーをイメージした学校づくりに取り組んでいきます。これまでの皆様のご支援ご協力に感謝し、更に目標に向け努力していきます。今後とも、どうぞよろしくお願い致します。
テーマ: こえのブログ
テーマ: インド文化
テーマ: インド料理
その他の企業・団体
アメンバーになると、アメンバー記事が読めるようになります