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皆さま初めまして。 「誕生数秘学の智慧」伝承者数秘ナビゲーター清水裕善「シミズヒロヨシ」です。母なる星地球を救うために宇宙から派遣されてきました。誕生数秘学の智慧とタロットカードを使い、あなたが望む希望の道へ進めるようにナビゲートしてます。この地球では岐阜県加茂郡の地に肉体の鎧を身にまとい産まれ、令和元年に生誕50年の節目を迎えました。宇宙からの派遣期間も残り50年となり、地球上での体験を楽しんでいます。今の自分が出来上がるまでの地球上でのストリーを綴ってあります。【産まれてから会社に就職するまでの20年間】清水家の長男として産まれ、産まれた時から全身にアトピー湿疹を発症し、生まれながらにして皮膚科の病院に通う事から地球での人生がスタートしました。その影響があったかも知れませんが、幼少期の頃は病弱でひ弱な人間でした。ひ弱な事もあり、幼稚園に行くことが嫌で自宅に引きこもる選択をして登園拒否児として親を困らせていました。自宅に引きこもるなかでも、掛かりつけの皮膚科の病院に行くときは親に連れられ電車に乗っていました。子ども心にその時から電車に興味を持ち始めたと思います。登園拒否の2年間の家の中での引きこもり生活が多分?!退屈となり、小学校入学前の1年間だけは幼稚園に行こうと決意し1年間の幼稚園生活を満喫しました。その後、小学校に入学し4年生から親の勧めもあり少年野球のクラブに入部し、中学卒業まで部活動を通して野球小僧として野球を頑張っていました。中学を卒業の頃にはアトピーの症状もかなり収まり、塗り薬を塗る程度まで症状が落ち着いていました。中学で高校の進路を決めるとき、子どもの頃から興味があり憧れであった鉄道会社に就職できる工業高校を発見。鉄道会社に就職できる工業高校に進学する事を決め、将来は電車の運転士になるとその時決めました。親からは、工業高校よりも普通科の高校に進学して大学に進学するように助言されるも、電車の運転士になりたい事を伝え、希望の工業高校に進学する事ができました。高校に入学し部活を決める時、中学では補欠でベンチウォーマーだった野球部に別れを告げ、全くやった事も無く、見た事も無い、競技のルールも知らないフィールドホッケー部に入部。高校の3年間は勉強そっちのけで真夏の炎天下の中での厳しい練習や、体育会系特有の先輩後輩の人間関係の中で揉まれながら部活に専念しチームの仲間たちと青春してました。3年間部活に集中して辞めることなく取り組んだことで県の国体選手に抜擢されるまでになり、野球部では補欠だった自分でも頑張るジャンルが違えば認めてもらえたことがとても嬉しく、誇らしく思える出来事。高校卒業後は3年間部活で頑張ったこともあり、念願の鉄道会社に晴れて就職しました。【鉄道会社に就職して】子どもからの憧れでもあった「パノラマカー」が走る名古屋鉄道に就職し、子供からの夢の実現に向けてスタートライに立つことが出来ました。名古屋鉄道で有名な電車と言えば「パノラマカー」子どもの頃一番前の展望席に座って眺めていた景色が見渡せる仕事先に就職し、夢のような世界が現実世界に現れ1日も早くパノラマカーの運転士になりたいと思い日々業務に勤しんでいました。鉄道会社に就職し、毎日をウキウキしながら過ごしていましたが、産まれた時から使い続けているステロイド軟こうをこのまま一生使い続けるのかな・・・という不安な思いがこみ上げていました。一生塗り薬のお世話になる不安な気持ちを抱えながら過ごすのは嫌だなと思い始めた頃、ステロイド軟こうに詳しい漢方の先生と出会い、ステロイド軟こうを使い続ける危険性を聞き、平成元年の時にステロイド断ちをする事を決断。そこからは地獄の日々が始まり、いわゆるステロイド断ちによる好転反応にもがき苦しみ、出口の見えない毎日が続いていましたが、ステロイドは絶対に使わないと心に決めていました。いつになったらこの痒みとヒリツク痛みから解放されることやら・・・。そんな矢先悪いことは続き入社3年目の頃、駅員から晴れて車掌になり運転士に向けて一歩前進するなか突然飛び込んできた父親が危篤の電話。父の日の翌々日に電車の乗務を終え、職場の休憩場に着いたとき「父親が病院に運ばれたそうやで家に帰ってっくれ」と一言だけ言われ急遽帰る事に。今のように携帯電話の無い時代、帰りの道中「朝は普段と変わらづ元気な姿で仕事に出ていって、一昨日も父の日のプレゼントを渡したのに病院に運ばれたって何???」クエッションマークしかありませんでした。搬送された病院につき、父親の所に行き聞かされたことは「仕事中にくも膜下出血で倒れて運び込まれた!!」ことを聞き、エッ・・・・。何それ・・・まさに青天の霹靂状態。詳しい話を聞けば「明日の朝まで持つかどうか微妙な所」とのことハッ?????一瞬にして物事を飲み込みました。明日の朝まで親父の命が持たないかもしれない・・・。その瞬間、悲しみと不安が入り混じった感情がこみ上げて泣きそうになりましたが、清水家の長男であり男である以上、母親や姉の事を支えなければと思い考え、泣きたいのを我慢して理性で感情を押さえつけその場は泣くのを我慢!!その場を凌ぎました。その後考えられる処置を施し一命は取り留めたものの、こん睡状態が続き、ただ心臓が動いているだけの植物人間状態が続いていきました。病院に運び込まれ、明日の朝まで持つか解らないと言われ必要な処置も施し、その後はどうなるか解らない植物人間の状態が続いていきました。3カ月ほどが過ぎ去り秋の気配が漂い始めた頃、植物人間状態から奇跡の意識が回復し、脳の障害が残る事もなく身体の障害が残るもお陰様で自宅療養するまでに回復。そんなこんな中、平成6年には子どもの頃からの夢であったパノラマカーの運転士になる事ができました。運転士になって一番最初の担当電車は、なんと子どもの頃から憧れの「パノラマカー」初めて一人で担当する電車の乗務前は、緊張感があるもの二階にある運転室に入る事が嬉しくて嬉しくてしょうがなくて(^^♪晴れて電車の運転士としてデビューし、ここから電車の運転士としての人生がスタートしていきました。運転士デビューして初めて迎えた正月輸送の中で飛び込んで来たニュース。阪神淡路大震災の衝撃的なニュース。見事に倒壊した高速道路や高架上で中刷りになりそうな電車の姿などテレビから飛び込んでくる神戸市内の衝撃的な映像。阪急三ノ宮駅の倒壊状況や、倒壊寸前の鉄道高架橋の映像を見るととても胸が苦しくなり悲しくなってきました。この震災をきっかけに、「人間にとって死ぬまで幸せに暮らすためには何を大切にしないといけないのか」を考え始めるようになりました。電車の運転士を続けながらステロイド断ちによる好転反応の状態や、父親の状態も比較的に安定し時間が過ぎていきました。父親の介護を続けながら、今度は母親が父の介護づかれもあり1999年(平成11年)の年末に、完全な鬱状態になり病院に緊急入院。年末の慌ただしい時期に、父親の介護に母親の鬱による緊急入院。世間では2000年のミレニアムを迎える楽しそうなムードの中どうしたらいいのかワケも解らなくなり頭を抱えていました(+_+)頭を抱えながらも、姉や周りの友達や仲間、近所の人たちに色々な事で助けられながら2000年のミレニアムを迎え、その後時代が移り変わる2001年(21世紀)が幕を開けました。21世紀が始まった桜の咲く時期に最初に倒れた時から10年ほど頑張ってきた父親も安らかな眠りのなかあの世に還っていきました。父親との最後の瞬間は病院の一室で、父親に付いていた心電図の波形がフラットになったことを見て「人が死んだ時」ということを体感した瞬間でした。父親の介護中の時は、この介護の生活が何時まで続くのかと思う「不安と辛い気持ち」と、何時までも長生きして欲しい「願い」の気持ちの葛藤を抱えながら普段を過ごしていました。父親が亡くなった時は、亡くなった悲しみよりも、介護する生活から解放された安どの気持ちが心の中を支配していました。まずは父親の問題が片付いたと。この時母親の鬱の状態も回復し、投薬療法による治療と病院通いが続いていました。介護生活からようやく解放され、肩の荷が降り、父親の死をきっかけに命や精神世界のこと、幸せに暮らすために大切なこと、子供からの夢も叶い次の夢を描いたりと、自分の将来の事を色々と考えるようになりました。【将来に向けた心理学との出会い】父親の3回忌も無事に終わり、鬱状態の母親を抱えながらもあるきっかけで日本メンタルヘルス協会主催の心理学講座に通いはじめました。心理学を学びながらその時であったのが自分の数秘の師匠にあたるはづき虹映さん。はづきさんが世に送り出した「誕生数秘学の智慧」と出会い、自分の持って産まれた本質の部分が解り、自分の本質を認め受け入れた事で生きることがとても楽になりました。当時、30歳を過ぎ会社では一般職から部下の教育や指導をする管理職に昇格したりして社会的にはいい大人になりつつありました。大人になることが良いのか、悪いのかは解りませんが、年齢を重ねるにつれドンドン息苦しさを感じるようになってきました。また、会社での役職上での立場もあり、無理に大人の考え方をしたり、立ち振る舞いをしたりすることに対してとても違和感を覚えていました。この違和感や息苦しさはなんなんだ???そこで「誕生数秘術の智慧」に出会い、自分の持って産まれた本質の部分は「無邪気な子ども」ということが解り、日ごろ感じていた違和感や息苦しさは「無理に大人になろうとしていた」事が附に落ち、とても気持ちが楽になりました。年齢を重ねても「無邪気な子ども」の自分で良いんだと認め受け入れることで、とても楽に生きていけるようになりました。ここで、一気に弾けた感がありました(^^♪心理学や数秘術を学びながらこの世での自分の役割使命や将来の夢がおぼろげに見え始め、役割使命は「世界中を飛び回り人と人を繋ぐこと」将来の夢は「地図上の国境線を無くし地球はひとつ」を実現する事やりた事は「自分の本質に気付き自分らしく生きる人を増やしたい」この3つの事が自分の中で化学反応を起こし青白い炎が灯りました、「日本の未来を変えてやる!!!」一度灯った青白い炎は自分自身でも消すことが出来なくなりました。大好きな電車の運転を続けながら会社の役職的にも順調に昇進・昇格いくなかで、このままでの状態での将来の事が見え始めた頃「電車の運転士をしている場合ではない!!」と思い始めていました。そんな中、体調をくづし休職状態となり自宅療養(^^;)4か月間にわたる自宅療養を終え、職場復帰に向けて会社と協議するもなかなか話がかみ合わづ、会社側からも退職を匂わせる提案がなされました。その提案を聞き流したものの、誰にも相談することなく一晩自分で考えて会社を退職することを即断即決。会社との面談を終えた翌日に職場の上司に退職する旨を伝えました。退職する覚悟を決め、自分の中に燃え盛る青白い炎だけを持って、清水の舞台から飛び降りる思いで2006年に長年お世話になった名古屋鉄道を退職。【第二の人生の幕開け】自分の中の熱い思いだけを持って会社を退職するも、その後何をするか、何をしたらいいのか全く解らづ何も決まってない白紙状態。うつ状態の母親と暮らしながらこの先どうしよう・・・と現実世界の壁にぶち当たる((((^^;)手元には名鉄時代蓄えていた貯金があるにも関わらず、収入が途絶える「不安」な気持ちから闇雲に動き回り、出会ったのがカイロプラクティックのお仕事。収入面の話やカイロの事業の話しをセミナーなどを通して詳しく聞き、早い段階で収入を得る事が出来ると考えカイロプラクティックの仕事を始める事に。カイロの仕事で収入の道筋を付けてから自分の本当に遣りたかった数秘術に関する仕事が出来ればと考えていました。カイロの仕事も3年間は全力で頑張ると決め、全ての時間とお金をカイロの仕事につぎ込み、お陰様で自宅施術院とテナント施術院の2店舗を運営し構えるまでになりました。カイロの仕事に全力で取り組むも心の中では、数秘の仕事をやりたい思いもあり「ホントにこのままでいいのかな・・・」と常に心の葛藤を覚えつつ当時は毎日を過ごしていました。後になり気付いたのですが、電車の運転士時代は自分の本当にやりたいことと、実際にしている仕事が一致していたので迷いや心の葛藤を抱える事無く仕事をしていました。会社を退職し、収入を得るために始めたカイロの仕事と、本当に遣りたい数秘の仕事とが違うことで心の葛藤を味わいながら「多くの人はこんな心の葛藤や迷いを抱えながら仕事をしているのかな・・・」と思うようになりました。そんな心の葛藤と迷いを持ちながら再び日本列島を襲った大きな地震。2011年の東北大震災でした。この年の春に綺麗に咲いた桜を眺めながら、「こんな事(カイロの仕事)をしている場合ではない。本当に遣りたいことをやろう!!」と心の中で何かが弾けました。心の中で想いが弾けた事はいいですが、経済状態が火の車で気持ちにユトリが無くなっていて精神的にも疲れていました。そこで出会ったのがコーチングのセミナー。コーチングセミナーに参加し、会社を退職する時の熱い気持ちが呼び覚まされカイロの仕事をやりつつ数秘の仕事も始める事を決意!!セミナーで学んだコーチングと数秘術を上手く融合させ、カイロと数秘の仕事の2足の草鞋を履いた状態で今の仕事を始めました。【数秘ナビゲーターの仕事を通して】コーチングと数秘の仕事を立ち上げるなか、コーチングのセミナーには毎月のように通っていました。セミナーに通う中で、世界ナンバーワンコーチと言われるアンソニーロビンズのDWDセミナーに、100万円かけて一週間ほどコーチングの本場アメリカまで行って受講してきました。DWDは民族、人種を問わづ世界中から参加者が集まり行われるライブセミナー。会場には世界中から2000人程の人が集まり、会場のエネルギーは半端なく強烈で自分にとっては未知のゾーンでのセミナーでした。セミナー中に取り扱われる中心テーマはパートナーシップ。自分にとてのテーマは「男性エネルギーの解放」をテーマに持って参加してきました。パートナシップに対して会場に集まる全員が自分自身と向き合いながら、アンソニーの公開コーチングを目のあたりにして、感動の嵐に打ち震えながらコーチングの素晴らしさとパートナーシップの素晴らしさを身体に刻み込みセミナーを終えました。その時、海外のアメリカから眺める日本は、とても緑と水に恵まれ、そして眩しい程の光(電灯)の中で快適に暮らして居ることが改めて知りました。当たり前のようにある水、当たり前のようにある眩しいばかりの電気の光、当たり前のようにある治安のよさ。日本にある当たり前は、海外からみれば、かなり裕福で豊かな社会環境の中で暮らしている日本人と言うことを認識するキッカケとなる海外セミナーの参加でした。数秘ナビゲーターを名乗り、個人セッションやイベントに参加する中で多くのクライアントさんと接する中で、「現状維持を選び変化するする事を拒む」と言うことが多々見受けられるように感じていました。色々な人たちと交流し意見交換しながら、世界中の動きや地球の事を聞きながら自分なりに現状を整理すると「今の日本このままで本当にいいの!!!」「現状維持を選択する人が多いけど、本当にそれでいいの???」と以前よりも強く感じるようになっていました。そんな事を強く感じながらも、数秘の師匠の教えでもある「自分が幸せになる事に手を抜かないこと!!」これだけは忘れることなく日々活動しています。会社を退職してから母親の世話をしながら仕事をしていました。母親も年を重ねるごとに体の衰えからくる足腰の衰弱が目に見えて解るようになり、自分一人では生活が立ち行かない状態に。そのため母親の生活介助のために自分の時間を取られる事が多くなり、お互いの感情をぶつけ合いケンカすることもしばしば発生するようになり・・・。それはそれはお互いの感情むき出しのケンカとなり、泣きながら自分の事を訴えた事も((((^^;)そんななか年末の年の瀬に年内の仕事を片付けたあと、以前から気になっていた右目の違和感が気になっていたので時間を作り数年ぶりにかりつけの眼科まで検診にいきました。検診の結果・・・、右目の網膜剥離が見つかり精密検査が必要とのことで大学病院を紹介され、その足で紹介状を携え大学病院へ。精密検査の結果、緊急手術と2週間ほどの入院が必要と診断され即入院。またここでも「まじか・・・」大晦日の夜とお正月は病院のベッドの上で年越しをすることが強制的に決まり、家に残してきた母親の事をどうしようと頭を抱えました。入院中は母親の介助中心の生活から解放され、入院生活がオアシスとなり退院の日にはもう少し入院していたいなと思ってみたり((((^^;)。2週間ほどの緊急入院がキッカケとなり母親との関係も動き始めました。自分が入院中は姉や近所の人のお世話になり、母親も自分無しでは生活できない事を実感し介護施設に入所するしかない事を感じていたようです。その後、姉を交えた家族会議を開き母親を介護施設に入所させる事がきまり、父親の介護生活から始まり、母親の生活介助まで続いたいた生活にピリオドをうつ事になりました。母親(家族)との決別を気に生まれ育ち長年住み慣れた自宅を手放し、生まれ育った土地を離れちがう町に引っ越すことを決断。決断をしたものの母親の面倒を自分の手から介護施設に委ねることにかなり抵抗があり、心の中で葛藤がありました。「清水家の長男として本当にこれでいいのかな・・・」「子供の頃はかなり手の掛かる子供だったのに本当にいのかな・・・」心の葛藤を抱えながら、産まれた時から身近でお世話になっている近所のおばさんに事の経緯を話し、引っ越し前のご挨拶にうかがいました。その時にかけて頂いた一言「今までよく頑張って母親の面倒と世話をしてきたから、一人なってこれからは幸せになってね」と。涙が出る程嬉しい一言でした。この一言で心の中のモヤモヤも吹っ切れ、住み慣れた自宅と家族、そして長年住み慣れてきた町(土地)を出る事に。自宅を手放す事で、10年以上続いた自宅施術院を手放す事をきっかけにテナント施術院も手放しカイロプラクティックの仕事を卒業しました。【長年持ち続けてい感情の解放】令和元年を迎え、親しい知人が2年ほど前に病気で倒れ3日間のこん睡状態から目覚めた時の映像を見る機会があり、その映像を見ていて父親が倒れた時に心の奥底に封じ込めていた「不安と悲しみ」の入り混じった感情が込み上げてきて思いっきり泣きました。約30年間心の奥底にしまい込んでいた「不安と悲しみ」の感情を開放することができました。家族、自宅、仕事、心の奥底に仕舞いこんでいた感情全てのモノとコトを手放し唯一残ったものがこの仕事。本当にやりたい数秘術とコーチングのお仕事。令和の新しい時代を迎えこの仕事を通じてやりたい事は「自分の気持ちに正直に生きる人を増やすこと」「日本の新し未来を創っていくこと」「地図上の国境線を無くし地球はひとつを実現すること」この3つの想いは名鉄を辞める時から変わることなく心の中で青白い炎として燃え続けています。「ひとりでも多くの自分の気持ちに正直に生きる人が増える事で、輝かし日本の未来が訪れる」我々日本人が日本人としての誇りを取り戻し、本来の日本の姿を取り戻すことで「地図上の国境線を無くし地球はひとつを実現すること」が実現すると確信しています。【自分の魂のミッション】「日本人の魂の記憶を呼び覚まし、呼び覚ました人をサポートし守っていくこと」そして宇宙から派遣されてきた目的として「母なる星地球を救うために宇宙から派遣されてきました」宇宙からの派遣期間を終えるまで、目的を果たしながら地球上での生活を楽しんでいます。
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