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演劇・インプロ・コミュニケーション講師/俳優/演出などこどものためのドラマスクール沖縄主宰https://improkinawa.net/2022/01/09/kdsokinawa/インプロオキナワ 代表https://improkinawa.net/キャラ OKINAWA所属教育や人材育成の講座・ワークショップも承っています。お気軽にお問い合わせください。<渡辺奈穂>1969.7.8 東京都下。油絵科卒の父と、保育士の母の間に生まれる。幼少時、父にデッサンのいろはを無理矢理教え込まれ、すっかりお絵かき嫌いに。母に子供劇場などに連れて行かれるうち、いつのまにか舞台好きの感動屋に。しかしお客さんが来ると、接待は妹に任せて、自分は本を片手にそそくさと奥へ引っ込む、社交性の欠落した子でありました。高校卒業後、木山事務所という新劇の俳優養成所に入所。4年半在団ののち、1995年、母の郷里である沖縄に移住。沖縄の現代劇の劇団に参加。一年で退団。98年、「演劇企画魚の目」というグループを立ち上げて(代表・演出)オリジナル作品の上演をしますが、役者不足のため、好評だった旗揚げ作品の、再演が頓挫。今でこそ、沖縄は幅広い年代のすてきな演劇関係者で溢れかえっていますが、20年前はたった4名のキャストを確保するのもたいへんでした。無念さのあまり一晩泣き明かし、「とにかく演劇経験者を増やすしかない!」と、“劇団に入る勇気はないが芝居はやってみたい”ヒト向けのワークショップを開始。当時、沖縄の現状に見合った台本が、なかなかなかったので…脚本を書く人もいまみたいにたくさんいなかったので…(+自分で戯曲を書くという発想がまったくなかったので)しぜん、即興をベースにした作品づくりをするようになりましたとはいえ、そもそも自分自身が“ワークショップ”なんて受けたこともなかったので、「演じるってどういうことだろう」「ドラマってどうやって成り立つんだろう」ということを、0から、自分たちのアンテナだけを頼りに模索する、とても貴重な旅をした数年でした。そうこうしているうちにいろんなところからワークショップをやる機会をいただき、そのうち“県立高校の演劇の授業”とかもやることになったりして、「しかたなくで授業を選択したけど『エンゲキなんかやりたくね〜』ってヒトのための演劇って一体何をすればいいんだ!?」と四苦八苦しました。一方、「プロを目指す」ためのエンゲキだけじゃなくて、生活するヒトのためのエンゲキ、っていうものも、実は人々にとても必要とされてるんだ、ということに気付きはじめたりして、ああもっと勉強したい、と思っていた矢先、インプロ(即興演劇)の存在を知りました。即興を元に作品を作っていた頃、設定と役柄だけを決めて、まずはフリーでいろいろ喋ってもらうのですが、演じている本人が、ほとんど無意識に吐き出したなにげない言葉が、何か深いところで人々の思いや記憶を突いていたりすることがあり、人間の潜在意識ってなんて面白いんだろう、と思ったものです。そして、「即興って面白いけど、即興をそのまま舞台で上演したりできるのかな?」「まさかねー、相当極めないと無理だよね」なんてみんなで言い合っていたのに、よその国ではとうの昔に確立されていたのだと知った時は、「ああ自分の限界って結局自分が決めるんだなあ」とつくづく思い知らされたものです…2004年、一時実家に戻り、東京でインプロ修行を始めます。インプロジャパンの体験クラスからスタートして、インプロワークスでは「ワークショップリーダー勉強会」に加えていただき、インプロ初心者でありながら、とにかく沖縄に早くインプロを伝えたくて、東京にいながらにして「インプロオキナワ」をたちあげ、数ヶ月に一度のペースで帰沖し、インプロのワークショップをスタートしました。また、この期間、地元の学童保育の臨時指導員として、子どもたちとがっつり付き合う機会もいただきました。演劇では高校生以上としか付き合ってこなかったし、自分で産んでないので、コドモとは、まったくもって未知の生物。「比較的時間の自由がきく仕事」ということで始めたのですが、最初はどう接していいものやら、不安でいっぱいでした。しかし毎日付き合ううちにほどなく「自分の子どもの頃の記憶と感情」が蘇って来ました。ああ、こんな風に平気を装ってても、実はものすごく恥ずかしかったよなあ、傷ついたよなあ…こういうちょっとしたことが、すごくわくわくしたよなあ…わかるわかる、そうだった…この時期、各インプロ団体のリーダーのみなさんと並んで、子どもたちが私の、インプロの師匠となります。さらにはオトナとコドモの関わり合い方、子育ての理想と現実のギャップについてもずいぶん考えさせられた、貴重な体験でした。2010年、念願叶って沖縄に再移住。沖縄市の「地域おこし協力隊」に採用され、初めてのコザ在住。プライベートではモデルクラブディネアンドインディーで演技レッスンを担当するなど講師業をスタート。2年半の任期の間、演劇×中心市街地活性化、ということで、当時沖縄市で開催されていた国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ(当時愛称キジムナーフェスタ)にも関わり、即興実験学校の高尾隆氏らとともに、「街なか×市民参加×演劇」をテーマに、沖縄初のシアタースポーツを開催。また、地域の子どもたちと、“自らの力で街を遊び場にする”わくわくランド遊び塾などもやっておりました。2013年3月、任期を終えてからは、視界の8割が青と緑、という環境に憧れ南城市に移住。インプロオキナワとしての活動のほか今井純氏を招いての沖縄インプロ合宿の開催、また、各団体でのインプロやコミュニケーション講座、また、地元南城市シュガーホールのジュニアコーラスや、劇団・事務所などの講師を務めながら、今年、2018年。子どものための演劇教室をつくりたい。と思い立ち、動き始めました。
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