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【4ヵ月間、30社、一次面接すら通らなかったポンコツ大学生がたった30日で業界第一位の企業から内定を手に入れた話】就活解禁から3ヵ月、少しずつ蒸し暑くなってきた6月終わりのこと、僕は夜の繁華街を歩いていました。「兄ちゃん、1時間5,000円で遊んでいかない?」黒服のお兄さんの声に、「行きます行きます!」そう答えて、店の中へ入っていく僕、親に内緒でカードローンで、お金を借り、抱えた借金はざっと20万、だけど、もう全てがどうでもよかったのです…-5年前-僕は現役で大学を全落ち、浪人して予備校に通っても、ほとんどゲーセンに入り浸って1年間が終わり、一歩でも地元を出れば誰も名前を聞いたことがないような無名大学に入りました。2chで「Fラン乙www」と煽られることさえない、本当の低学歴に僕はなりました。大学生活は楽しかったです。初心者からギターを始め、部室に入り浸って先輩に教えてもらいながらギターを弾いてみたり、「サンマ焼こうぜ!」という先輩のひと声で、いきなり夜中に七輪でサンマを焼いたり、高校時代とは比べものにならないぐらい楽しい毎日が待っていました。遊ぶためのお金を確保するために、アルバイトをし、バイトで稼いだお金で毎日のように遊びに明け暮れる、そんな生活をしていました。転機が訪れたのは、大学3回生の頃です。このときすでに単位はギリギリ、留年するかどうか瀬戸際の状態でした。このとき僕はこう思います。「進級したくない…」アルバイトでは決してできがよくなく、クビにならなかったのが不思議なぐらい、ミスを繰り返していました。そんな中でオーナーに繰り返し、繰り返しこう言われていました。「ここでも通用しない奴は社会でも100%通用しない」ああ、僕は社会では通用しない人間なんだ…アルバイトを通じて、僕は確実に、社会への恐怖と自信のなさを養っていきました。そんな中で訪れた、「1年卒業を遅らせて大学生活をもう1年楽しむ」というチャンス、頭では必死で勉強して、進級すべきだ、と分かっていても、心が受けつけませんでした。それでも必死で勉強しようとしますが、眠眠打破を飲んで机に向かっても、何一つ頭に入りません。「もういいや!」僕はここで、ある決断をします。こうして、テストを途中からボイコットした僕は、当たり前のように留年が決まりました。親に謝りに行くと、烈火のごとく怒られ、あわや勘当、退学、一歩手前のところまでいきました。その1年後、今度は就職活動が始まります。 最初は、「中小企業に絞ればどっか受かるやろ」という気持ちでいましたが、実際には半分以上が書類落ち、面接を受けることすらできませんでした。そんな中で、4月の終わり、初めて面接を受けたとき、自分が詰んでいることが分かりました。低学歴、一浪一留、ギターサークルも男数人の小規模なサークルで特に何の実績もない。アルバイトでは活躍どころか、使えないやつ、おまけにコミュ障だったので、そこでうまく立ち回れるような要領のよさもない、血の気が引きました。「どうして留年したんですか?」そう聞かれたときは、水に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせるばかりで、言葉が出てきませんでした。何を言ったのかさえ、覚えていません。そこからはとにかく面接の経験を積むため、職種にもこだわらず、とにかく小規模な会社を片っ端から受けていきました。結果はいつも同じ、いつもどこの会社も判を押したように同じ文面の「貴殿のご活躍をお祈り申し上げます」が届くだけ。面接に行ったら最後、その会社の人と二度と会うことがありませんでした。自分を否定された気がしました。「ここで通用しないようなやつは社会へ行っても通用しない」バイト先のオーナーの言葉が一社また一社と受けるたびに、裏付けられていくような気がしました。「僕は社会に要らない人間なんだ」「僕はダメな人間だ」そんな気持ちが日に日に強くなっていきました。そんな中、ある日興味本位で立ち寄った繁華街で、僕はスーツを着た男に声をかけられます。「お兄さん、仕事帰りですか?」初めて行ったお店は未知の世界でした。「24!?お兄さん若いねー♪」「彼女おらんの?シュッとした顔してんのに」「お兄さん歌うまいねー、いっしょに歌お♪」コミュ障で、低学歴、高校の部活でもアルバイト先でもバカにされ、就職活動でも連戦連敗、彼女もできたことがない、底辺の僕でもお金さえ払えば、自分と同じぐらいの年の女の子たちが褒め、持ち上げ、いっしょに飲んでくれる。情けないことですが、僕はこの世界に、一夜にしてはまってしまいました。就職活動のストレスもあってか、説明会や面接に行って、夜のお店へ繰り出して飲み、酒の残った頭で、また就職活動へ繰り出していく、そんな生活を繰り返しました。こうして、冒頭のような借金20万円、夜の店通いの底辺大学生が出来上がったのです。この頃には、親に「東京へ説明会に行く」と嘘をつき、就職活動もせずに夜の繁華街へ繰り出すことも珍しくありませんでした。今思えば、本当に最低の人間です。7月の半ばごろ、そんな最低な人間をやっていた僕に一通のLINE電話が来ます。「もしもし、リュウジ?」中学時代からの地元の友人、ショウタの声でした。「どした?」といってもこの友人、中学校を卒業して以来、成人式ぐらいしか会っておらず、なぜ僕なのか?と思いました。「ちょっと女の子と3,3でカラオケ行く予定あってんやけどさ…」それで?「もう一人が行けへんくなってもうてさ、リュウジ、予定空いてない?」なるほど、人数合わせか、僕は納得した。「おけおけ、空いてる空いてる!」カラオケ代だけで、女の子と遊べるなら安いもんだ。そう思って僕は返信しました。結論から言うと、その合コンで女の子と仲良くなったり、ましてや彼女ができたりはしませんでした。しかしそれをきっかけにショウタと仲良くなり、LINEで就職活動のことを相談すると…「リュウジも大変やなー、そういうことなら俺が内定の取り方を教えたるわ」は?何言ってんだこいつ?正直にそう思いました。というのも、ショウタは僕と似たり寄ったり、どうひいき目に見ても残念な大学を出ており、そこに行った人のほとんどが、流れ流れて、フリーターや、派遣、正社員になれたとしても飲食かスーパー、そんな状況を知っていたからです。「言わんかったっけ?俺、〇〇中央農協で働いてんねん、学生時代は6社内定持ってたし」ショウタが6社内定?地元で一番大きな農協?言っていることが信じられない僕はLINEの文面を見返すけれど、何度見返しても文面は変わりません。ふとわが身を振り返ると、放っといても詰むのが見えているような状態、この際藁でも泥舟でもしがみついた方がマシだ、そのぐらいの気持ちで、僕はこう返しました。「ありがとう!その『内定の取り方』とやらを教えてくれm(_ _)m」それからというもの、僕はありとあらゆることを彼から教わりました。それからのショウタの教えは、僕の考えを根本的に変えるものばかりでした。「志望動機は全て詐欺」「就活はリサーチが命」「結果や資格なんか盛っても意味がない、まず過程を盛れ」一つ一つ実践していくうちに、今までの僕がいかに的外れな就活をしていたのか思い知らされました。こうして7月も終わりに近づいた頃、「採用決定のご案内」そう書かれた書類が届きました。従業員数100人を切るビルメンテナンスの会社から初めての内定、そのときは、「内定ってほんとに出るんだ!!」という驚きと喜びで心が満たされました。今まで周りで内定を取った人は何人もいたけれど、テレビや本で見るサクセスストーリーのように、どこか実感がわかなくて、変な話、「内定ってほんとにあるんだろうか?」という気持ちになっていた僕には、「内定が出る」ということが、本当にものすごい感動だったのです。それからも就職活動を続けること1ヶ月半、彼と同じ6社内定を得て、僕は就職活動を終えました。決めた会社は、業界では知る人ぞ知る検査系の会社、福利厚生と面接で会った役員の方の人柄で入社を決めました。両親の反応は、それはそれはすさまじいものでした。留年を決めたとき、「お前にはもう援助しない」と言った父からは、「ほんまか!よう頑張ったな!」と言われ、同じく、「もう顔も見たくない、退学させることも考えてる」と言った母は、「やっとここまで…」と言葉も出ない様子で涙を流していました。部活、勉強、バイト、恋愛、全てにおいてどうしようもなくダメだった僕が、就活を通じて数年ぶりに認められた。僕はようやく、自分に自信が持てるようになりました。自分に自信が持てるようになった僕は、家に帰り、2センチ近い厚さになっていた夜の女の子の名刺を全て捨て、連絡先も全て消しました。もうお金で自信を買う必要がなくなったからです。内定を手にした僕がまず始めたこと、それはショウタに教わった方法をかつての僕と同じように就活で連戦連敗していた後輩に伝えることでした。もともと話術に長けていたショウタから教わった方法を自分で実践していく中で、サークルの勧誘のビラ配りでさえ、酒を飲まなければできないような口下手な僕でもできるように改良していました。これならあいつでもできるかもしれない、そんな思いから僕が就活法を後輩に教え始めた頃、時は既に8月始め、彼の持ち駒は片手で数えるほど、そんな状況から、なんと彼はかつて落ちた第一志望の会社…の親会社に内定を得ることができました。かつての僕と同じように、周りの見る目が変わり、「お前何円詰んでんwww」「コネかwコネだよなwww」と最初言われていたのが、コネでも金でもないことを知ると絶句される、ということを繰り返しているそうです。ついこの間も、「大して仲よくもないやつから『頼む、お前の父さんを紹介してくれ!』と頭を下げられたんですよw」「一体俺に何を期待してるんですかねwww」と笑っていました。僕は間違いなく底辺でした。一浪一留、低学歴、バイト先へ行けば月に1回は大きなミスをして、社員さんに怒られ、勉強をすれば、「名前を書けば受かる」とまで言われる大学で留年し、合コンへ繰り出せば、まるで会話に入れずに場の空気を気まずくし、挙げ句就職活動でも30社以上、たった1回の面接に通ることもできない。どこにでもいるような量産型大学生、どころかそんな自虐すら生ぬるい、正真正銘の底辺です。底辺の人間、人として底辺、底辺の中の底辺、今、これを呼んでいるあなたは、そんな僕よりも酷いでしょうか?僕よりもはるかに能力のあるあなたが報われないのはあなたが悪いわけではありません。ただやり方を知らないだけです。僕はショウタと再会して、一気に人生が変わりました。僕自身、後輩に就活のやり方を伝えて、成功に導いてきた実績があります。僕は、大変な遠回りをしてきました。毎週3通も4通もやってくるお祈りメールに心を折られ、ストレスから夜の店にのめりこみ、20万円も親に言えない借金を抱え、今もアルバイトに明け暮れながら借金を返しています。就職活動の中で、僕と同じような惨めな思いをする人を一人でも減らしたい、けれども、研究とアルバイトで忙しい今の僕では、僕の後輩にしたように、面と向かって人に僕のやり方を伝えることはできません。そんな時間が取れません、だから…僕は「アメブロ」という手段を選びました。研究とアルバイトで忙しくとも、ブログなら、書き続けることができます。ブログなら、会ったことのない、僕の顔を知らないあなたにも、僕の方法を伝えることができます。次はあなたの番です。底辺の中の底辺、部活、勉強、アルバイト、恋愛、どれをとっても平均以下、取り柄の一つも見当たらなかった男が業界1位から内定を得た方法を、余すところなく教えます。大学の就職課が、今内定を頂いている会社が、今、このブログを見つけたら、僕は烈火のごとく怒られることでしょう。そのぐらいブラックな内容でも僕は伝えます。4ヶ月間、面接通過ゼロ、20万円の借金まみれ、僕と同じような人間をもう二度と、見たくないからです。全ての人を救うのは難しいかもしれないけれど、僕が救える人は全て救いたい…僕は本気です。今、あなたがどれだけ能力がなくても、才能がなくても、学歴がなくても、僕にはあなたを内定に導く自信があります。次はあなたの番です。あなたの人生を変えてみませんか?あなたがやることは、たった2つだけ。僕のブログを読む、そして実践する、たったこれだけです。「ほんまかいなwww」「どうせお前だからできたんだろwww」最初はそう思っていても構いません。疑いながら、読んでもらってかまいません。ですが、これは本当に底辺の人間が、実際に結果を出した方法です。読む、実践する、たったこれだけで勝手に内定が降ってくるようにできています。もう一度言います、今日から、あなたの人生を変えてみませんか?僕があなたの手を引きます。
テーマ: ブログ
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