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友達氷河期を乗り越えた猿@羽柴ゆうき
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友達氷河期を乗り越えた猿@羽柴ゆうき
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自己紹介
初めまして!羽柴です!
現在は、
独立・起業に向けて、
たくさんの人にお会いして話をし、
友達や先輩からは厚く尊敬される、
なかなか充実した日々を送っています。
しかし、
たった1年前までは
誰とも素直に話せず、
目を合わせることもできない、
孤独で馬鹿な人間でした。
中学の時に、
テストで学年順位1ケタという成績を収め、
「自分は出来るヤツだ。」
という優越感や支配欲を心の内に秘めながら
高校を入学しました。
高校1年生でも勉強は上の方で、
褒められることも多くあり、
「自分は普通の人ではない。」
「特別だ!」
という意識をますます膨らませていきました。
友達には、
自分のことを話したり、
頼ったりなどはしませんでした。
貧相なプライドと虚栄心が
自分の前に壁を作ったのです。
「自分は出来るヤツだから。」
その上、プライドは高いくせに、
人に嫌われることは怖くて、
「どうやったら嫌われないか。」
を常に意識して会話をし、行動していました。
2年生の頃から、
勉強の順位は少しずつ下がっていきました。
それは当然の結果でした。
みんなが大学を視野に入れている中で、
僕は、
両親から、友達から、先生から
良く思われたい、評価されたい
という気持ちだけで勉強していました。
褒められるためだけに勉強をしていたのです。
それを、中学から、大学受験まで6年間続けていました。
偉そうに毒を吐きました。
偉そうに友達の本を投げました。
それでも、
話しかけてくれる親切な人がいました。
近寄ってきてくれる優しい人がいました。
それは嫌われないように振る舞っていたからなのに、
僕は、当然だと思っていました。
「自分は、特別だから。」
人に良く思われたいと思っていたのに、
人を良く見ようとはしませんでした。
しかし、現実を思い知らされた事件が起きます。
僕は、高校3年生の頃、
“骨のう腫”という病気を患い、
2か月弱、入院をしました。
友達は、誰も来ませんでした。
メールは来ました。
しかし、病室には来ませんでした。
その間の授業内容も、
クラスの流行りも分かりません。
この時、
初めて、
寂しく思いました。
今の状況がおかしいと気が付きました。
確かに友達は多くいました。
ただ、
すぐ飛んで来てくれるような、
悩みを打ち明けられるような、
“親友”は1人も居なかったのです。
こうして振り返ると、
高校での友達との思い出は
数えるほどしかありません。
放課後や休日に遊びにいくこともなく、
クラスメイトの中で流行っていたゲームもせず、
みんなでご飯を食べに行くこともせず、
女の子と仲良くなろうともせず、
おまけに頑張っていた、
勉強でさえも、周りに凄いと思われたいから。
僕は高校の3年間を
プライドと虚栄心だけで
埋めてしまったのです。
特別だから、と意地を張っていたばかりに、
普通のことさえまともに出来ない人間になっていました。
仲良くしてくれていた友達にも申し訳なく思いました。
そして、そんな経験の中で、
“友達”という存在でさえ怪しく思ってしまったのです。
卒業後、
途端に自分に自信がなくなり、
自分が怖くなりました。
結果、
僕は極度の人見知りになっていきました。
1年間浪人をしても、
大学受験に目的はありませんでした。
入学試験の解答用紙を前にして、
頭の中は真っ白でした。
それは、緊張ではなく、明らかな拒絶でした。
4年間も耐えられそうにないと感じていたのです。
2011年3月、
結局私立の大学はすべて落ち、
国立大学の後期試験もサボったその日、
僕は「震災」を経験することになりました。
日常が壊れていくその光景は、
まるで、僕のようでした。
何もできない自分。
ようやく付いたテレビに映ったのは
真っ黒な日本。
すると、その向こうに、
何億何千万という額の寄付をする人が映っていました。
なぜか少し、救われたような気持ちになりました。
光だと思いました。
同時に、何もできない自分が悔しくなりました。
本物の“出来るヤツ”は、優しさの大きな塊のようでした。
「本物の出来るヤツになりたい。」
「もっと優しい人間になりたい。」
「この両手で、どれだけの人を救うことが出来るのだろう。」
ニュースや街頭の募金活動を見る度に、
悔しさと憧れの気持ちは膨らんでいきました。
普通を捨ててしまった以上、
普通な人生には戻れないということも感じていました。
失敗を無駄にしたくありませんでした。
同じ失敗を二度と繰り返したくありませんでした。
僕はこの時に、
「独立・起業」
を意識し始めるようになりました。
2011年の春、
専門学校に入ってしばらくは
まだ、誰ともまともに話せませんでした。
3か月経っても友達はいませんでした。
そんな僕にも話しかけてくれる人がいました。
今度は少し変えてみようと思ったのです。
「このままじゃダメだ・・・!」という一心で。
そして、寂しくて。
久しぶりに会話をすると、
顔の筋肉もこわばり、
話したいように話せなくなっていました。
言葉選びも上手くいきません。
何を話したら良いのかも分かりませんでした。
一方で、
ビジネス本を読んでみても、
ありきたりな事か、突拍子もない事ばかりで、
人脈も経験もノウハウも0の僕には、
独立・起業の道も険しく遠いものでした。
2012年の7月、
就職活動の最中で、
人見知りを克服するため、
将来に独立・起業するために始めたのが、
「人と会うこと」
でした。
人見知りにとって初対面は一番の壁であり、
最初はとても怖くて緊張しました。
それでも、
「自分を変えたい!」
という一心で飛び込んでいきました。
幸運にも、
風のように僕の前に現れたその人が、
風のように僕の人生を切り開いていったのです。
ベンチャー企業のトップセールスマンだった彼は、
アイスコーヒーの味も分からなくなっていた僕に、
自信たっぷりに言いました。
「絶対に変われるよ。僕が絶対に変えてみせるから。」と。
そして、
「ウチにおいでよ」と言われ、
僕は強くうなずきました。
人見知りを克服しようと飛び込んだ先で、
僕は就職活動を終えました。
その人との出会いに僕は衝撃を受け、
「もっといろんな人と会ってみたい!」
と思うようになりました。
実際に多くの人と出会っていくうちに、
だんだん、
人と会い、話をすることが楽しくなりました。
学校生活でも同じで、
会話を楽しんでいると、
気持ちも前向きになり、
性格まで明るくなっていきました。
そして、“親友”が出来ました。
これが、2012年7月。
つい最近のことです。
気づいたことがあります。
「僕は特別な人ではない。」と。
かつての僕と同じように
人見知りの人、
もっと仲良くなりたいのになれない人、
素直に話せず、目を合わせることも出来ない人が、
世の中にはたくさんいるかもしれないと。
僕はほんの少し運が良かっただけです。
たまたま最初の人がすごい人であっただけです。
相手によっては、さらに人見知りが悪化することにもなっていたかもしれません。
僕は決めました。
「僕が人との出会いで人生が変わったように、
今度は、僕との出会いで人を変えていこう!」と。
僕は人との出会いで、
人見知りを克服し、
ビジネスパートナーも見つかりました。
やりたいこと、やらなければならないことがたくさん見えてきました。
「自分を変えたい」
という一心で飛び込んだ相手が、
僕であってほしい。
人と出会い、話をすることの楽しさや面白さ、
悩みを打ち明けることの幸福感、
そして、夢に向かって進んでいくことの大切さを、
あなたと会って伝えていきたいと思っています。
あなたと話して証明したいと思っています。
また、
あなたと出会い、話をすることが、
僕の人生を正しい方向へと導いてくれます。
あなたの人生が明るくなった瞬間に、
僕の人生も明るく照らされていくのです。
僕は今とても楽しいです。
幸せです。
だから、僕は、
今まで僕にかかわってくれた全ての人に恩返しがしたい。
これから出会うであろう全ての人に感謝をしたい。
その思いで
今、ブログを書いています。
これからも、あなたに感謝します。
長文ながら、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
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