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菅原隼人 1985年9月20日生まれ。 O型宮城県多賀城市在住 ■学歴利府第二おおぞら幼稚園利府町立しらかし台小学校利府町立しらかし台中学校私立青森山田高等学校中退宮城県塩釜高等学校商業科石巻専修大学経営学部経営学科■職歴株式会社ヤマザワ グロサリーMgr某生命保険会社■ファッション洋服が好き。学生時代古着屋、ジーンズショップでアルバイトしていたこともありリーバイス、リー、ラングラー、アディダス、ナイキが好き。他にはAPCなども着る。お金をかけずに楽しむためにセカンドストリート、メルカリをよく利用する。一時期ユニクロや無印良品の商品で工夫して着こなすことにハマっていたこともある。■音楽KREVA、SMAP、backnumberが好き。SMAPは車に好きな曲を集めたプレイリストがある。高校生のときに2年連続で利府町の宮城スタジアムでのコンサートに行ってキムタクと中居君のオーラに圧倒される。ファッションに興味を持ってのもキムタクに憧れて。好きな曲は、君は君だよ、そのまま、STAY大学時代は友達に教えてもらったKREVAにハマる。今もライブに行くくらい好き。イッサイガッサイが好き。■将棋が好き小学校の頃から始めたが勝つまで辞めない性格。小学校時代は1人ライバルがいてずっと勝てなかったが最後に勝てるようになった。よく一人でシミュレーションしたり、将棋ゲームをやっていた。高校時代野球部でありながら将棋大会で将棋部に勝ったこともる。また始めたいと思っている。■好きなマンガ、アニメスラムダンク、ドラゴンボール、メジャー、シュート、ホイッスル、ディアボーイズ、フジケン、やったろうじゃん。特にスラムダンク、ドラゴンボールはハマっていました。スラムダンクは仙道が好きです。ドラゴンボールは今だにユーチューブで見ちゃうし、映画も行ってます!ベジータが一番好きです!■小学校時代遊びと女の子が好きな男の子でした。それ以外には興味がなかったかもしれません。なんせ、授業の記憶がほとんどありませんから笑笑覚えているのは、図工の作品の提出が時間内に終わらなくて居残りになったんですけど家でゲームしたくてサボったことくらいですね。もちろんめちゃくちゃ怒られました。遊びは学校ではサッカー、ドッジボールをよくやってました。毎日試合をしていくうちに学年、クラス関係なく一緒にやる人が増えていくのが楽しかったですねー。スポーツが本当に好きでしたねー。サッカーから始まって町内会のソフトボール、少年野球、学校帰りはミニバスのメンバーとバスケ。どんどんレベルが上がってマラソン大会、なわとび大会とかではほぼ毎回上位入賞してました。6年生の時はドッジボールの県大会のメンバーに選ばれてベスト8にもなったし。遊びもいろいろやりました。将棋、ミニ四駆、ヨーヨー、ケン玉、ドラゴンボールごっこ笑笑、テレビゲーム。遊ぶことに夢中だったので、女の子にはモテませんでした。好きな子がいてもうまく話せませんでした。バレンタインデーの近くだけ頑張る男子でした笑笑■中学校時代野球、女の子にモテたい。これしか興味がなかったです。小学校の時モテなかったから頑張りました!積極的に関わろうとしたり、話しかけたり、髪型、眉毛剃り、香水、、、全てあまり効果がなかったような笑笑でもかなりモテるようにはなったんですよ!告白されたこともあったし、彼女もできたし。でもですね。全っ然分からないことがあったですよ。それは彼女ができても長続きしない。。ちょっと何回か会ったあとにフラれたりしちゃう。そうなると自信なくしちゃいます。俺って何かどうしようもない欠陥があるのかなーって。かなり悩みました。否定されるのが怖くなってましたね。だからこそ野球頑張ろうと思ったのかもしれません。当時はプロ野球選手になりたかったんですよねーだから当時思ってたのは明確にわかりやすい力をつけたかった。バッティングならホームランが打てる、投げては遠投100メートルみたいな能力ですね。とにかく自分の能力を上げることに集中してました。だからどんどん能力は上がっていきました。そりゃそうですよ。本を読んで、プロのビデオをスローモーションで研究し、バットを振るときは1回1回意識して、試合を想定して練習してましたし、トレーニングもしてましたから。だから中学生にして練習で柵越えのホームラン、遠投で90メートルも超えたし。実際試合でも結果を出すことができて3番バッターとしてチームの中心でした。でもですね、楽しかったかというとそうでもなかったんですよ。常に自分は実は嫌われてるんじゃないかってずっと思ってました。だから輪に入っていこうとしなかったし、強がって一人でいた方が練習に集中できる!みたいな態度とってました。なんか打っても心から喜べなかったですねー。僕が楽しかったのは打ったときに仲間が笑顔で迎えてくれること、喜んでくれることだったんですよね。それに気づけませんでした。自分の中で考え込んでひとり浮いてしまったんですね。未だにこんな一面ありますねー。自分で壁を作っちゃうみたいな。結局監督とうまくいかなくて県大会進出を決めていながら直前に辞めちゃいました。自分のくだらないプライドで辞めちゃって、できるならもう一度やり直したいくらいです。■高校中退高校ははっきり言って行けるところがありませんでした!だって勉強全くしてないし、授業も寝てるし。。当然テストなんてひどかったですよ。5教科で80点くらいでした笑笑 だから進路は必然的に野球で入れるとこないかなーって思ってました。そしたら運良く名門と言われる高校に入れたんですよ。甲子園行ってプロ行ってやってやる!って思ってました。でも3か月で辞めちゃいました。理由はいろいろありました。当時は先輩や指導者、環境のせいにして自分は悪くないって思ってました。自分を攻撃してくる人が悪い。早くここから抜け出したい。そればかり考えてました。でもそうじゃないんですよね。全て自分なんですよ。昔から自分の本当の想いを伝えることをしてこなかったんですよ。はっきり自分はこう思う。って。それをしないけど、受け入れられない。だから相手からすると生意気、わけわからないやつってなっちゃうんですよ。中途半端に抱え込んじゃうんですよ。今もあります。■フリーター時代〜高校入学高校を辞めてからはすぐに編入ができませんでした。3ヶ月で辞めちゃうとできないみたいなんですよね。じゃーこれからどーする❓って当然なりますよね。そこで、すごーく考えました。悩みました。野球は諦めたくない、編入できないってことは受験か勉強なんてしたくない、もう一度受けるってことは一つ下の子たちて同じ学年か。イヤだなー。とか友達になんて思われるんだろうとか。いろいろ考えた挙句出た答えは。。野球をまだやりたい!でした。公立高校で目立って活躍してやる!と決めて目標の高校を決めて受験勉強を始めました。そんなに偏差値の高い高校ではありませんでしたが、全く勉強とは無関係の生活を送っていた私にしてはかなり難しい学校だったんですよ。野球のためにだったらって思って自分にしてはかなり頑張りました。1人だとやらないから自転車で40分くらいのところにある塾に16時くらいから通い、勉強しました。その成果だけかはわかりませんが、合格することができました。ホントーに嬉しかったです。塾通い+アルバイト生活+人生について考えるこの体験ができた約1年間はホントーに今となっては宝物だと思ってます。■高校生時代高校時代はとにかく野球が一番でしたねー。早く試合に出て活躍したい!って思って入学しました。でも今思うと甘すぎたな!って思います。やっぱり高校生ですから、いろんな誘惑がありますよね。遊びたい、バイトしたい、どこがでそんな楽しそうな人たちをいいなーって思ってる部分がありました。野球にホントーに打ち込んだか?と考えると疑問ですね。野球だけに集中して頑張ればもっと俺は凄かった!とかそんなレベルの低いことは言わないですよ。もともと理論的じゃないことは信じないし。でも思ってるだけじゃなくてももっと工夫できただろ?とは思います。野球もやりたい、でも遊びたいならどうやったらそうできる❓っていうのがなかったなーと思います。何か惰性で楽する生活に染まっていくのが気持ち良かったんでしょーねー。でも頭の中では俺はこんな人間じゃないってずっと思ってる。自分のイメージと現実の差を感じ始めたんですかね。だから高校生の時は結構自分を責めてましたね。俺がこのレベルなのか。もっと俺はストイックな人間じゃなきゃダメなんだって、この野球部を変える存在なんだ!って。でも現実は一野球部の少し上手い人止まり。そこから目標を下げ、流されるようになっちゃってた時期がありました。でもそうなっちゃうとまた人生について考え直すわけですよ。野球で食っていくのが無理だなーって思っちゃうわけだから。でも当時は野球しか考えてないから指導者かなって思って教員免許をとるために大学に進むことにしたのです。でもね、大学一番行きたい動機ってもう一つあってですね、当時やってたテレビドラマ「オレンジデイズ」ってドラマ。あれを見てキャンパスライフ楽しそー!!!って思って、早く大学行きたい!ってなったのがホントのとこです笑笑オシャレして、仲間と人生について考えて、遊んで、バイトして、恋愛して、みたいな生活に憧れてたのかもしれません。高校は男子校で野球ばかりだったからなおさらですよ。だから頭の中は早く大学生になりたい!でした。結果第一志望の体育大は受からず第二志望に合格しました。■大学生時代夢のキャンパスライフを楽しみにして入学しましたが、まず想定外というか、当たり前なのですが、、学校が少し遠い笑笑 利府から石巻ですからね、車で40分くらいかけて毎日通いました。でも楽しかったですよ。まず通学中に松島の景色が見えたりもしたし学校でも友達ができたし、帰りに寄り道したり。毎日充実してました。特にアルバイトはホントいい経験になりました。古着屋とジーンズショップでアルバイトしていたときの経験がホント大きかったです。古着屋では古着の世界を知ることができました。ヴィンテージの世界には魅了されてしまいましたね。デニムひとつにこんなに価値が付くの❓面白すぎる!みたいな。ジーンズショップでは仕事ができる人に憧れるキッカケをもらいました。あ、こんな風になりたいと思える人に出会えたことは本当に良かったです。しかも2人も。ホント恵まれてるなーって思います。■サラリーマン時代大学を卒業後は一部上場のスーパーマーケットの企業に就職しました。その時常に考えていたのは「とにかく仕事がデキる男になって出世したい!」でした。島耕作ってマンガわかります?あんな風になりたいなーってなんとなく思ってました。忙しいんだけど遊びも仕事も楽しみながらバリバリ結果出す。みたいな姿がいいなーって思ってましたね。ただのサラリーマンではなく芯がある感じというか、出世のために頑張るわけではないんだけど気づいたらどんどん出世してたみたいな。上から必要とされて出世していくっていうヤリ手な感じ笑そこを目指して入社後は頑張りました!理不尽なこともたくさんありましたが、こうなりたい!が明確だったので続けていき、それなりに認めてもらったと自負しております笑笑人手不足になりがちな業界なのですが、人手不足になったときこそがチャンス!と言わんばかりにいない人の穴を埋め、朝から晩まで働き少ない人数の中でもいかに業務を終了させるかを考え続ける日々でした。努力の甲斐もあって上司になっても部下からも信頼されながら、楽しく結果を残すことができました!でもですね、成果を出し、部下にも喜ばれ、頑張れば頑張るほど評価されて出世できるかなと思っていたらそうではなかったんです。僕が目指す仕事のあるべき姿と会社が求める物が違ったんですね。自分では素晴らしいと思うことをしても認めてもらえない、むしろ煙たがられる。なんなんだ!と思いましたね。本質を求めて仕事をしてるのに。そこでやりがいが失われていき、その時置かれてる状況に疑問を持ったのです。■転職。。大正解でした!そして転職活動を始めることにしました。転職活動をしていく中で私がやりたいことはなんだろう。。考えに考えた結果やりたいことが明確になったんです。それは。。生命保険コンサルタントとして起業することでした。なぜ生命保険の仕事にしたかというと、業界の大先輩に言われた一言に尽きます。貢献=収入お客様に貢献した成果が大きければ大きいほど収入が増える。しかも無制限。貢献できなければ給料はない。(固定給がない)これが本当の仕事だと思いました。そして自分でスケジュールが管理できる。得意の時間管理術を使えば僕がやりたい活動、地元の人々を僕の経験で豊かにしていく活動ができる!大切なお金、時間、仕事の知恵を通して地域貢献ができる最高の仕事だと思ったのです!自分も相手も豊かにする!をモットーに楽しく過ごしています。
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サラリーマン・ビジネスマン
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