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いろんな好きなアーティストのライブに行くのが趣味です。歳と顔と服に似合わず70’sソウル・ダンクラ・R&Bが大好きでライブでノリノリになる側面を持ちつつも、複雑性PTSDを患っている。歌モノの音楽、邦楽R&B、甘めのお酒、心理学、精神医学も好き。好きなものにはとことんハマって突っ走る性質。服装はややゴスロリテイストを好む。汗かくほどノリノリに踊り狂えるライブが好き病院にいついた半野良猫に癒されつつも、その1匹の死により、複雑性PTSDで入院しているのにPTSDにかかり、半解離するようになりましたが、現在は1年半の入院を経てなんとか退院し、退院と同時に田舎の市街地で一人暮らし中。日々フラッシュバックと半解離に怯えつつ、意識障害おこすようになっても、たまに自殺未遂を時々起こしてICU入院しつつも、なんとか生きて、ライブにも行っています。現在は運用と障害年金で生きる身。自由になったのでブログ再開しました。使っている機器はiPodでなくWALKMAN。あくまでなるべくCDをゲットして取り込みたい派。また2ちゃん語やギャル文字、意味の無い小文字やwを多用したメッセージやコメントはお断りしてます。〔若干淀んでいる略歴〕2歳になる手前、父親が失踪。不在を変に思うこともなく、物心付いたときから普通にそれが異常とも思わず母子家庭で育つ。12歳の中学入学前に実兄から虐待に遭い、(それを母親は未だ知りません) その裏で起きた異常事態と、普通に訪れた翌日の平穏な日々とのギャップに思考が付いていかず、そこからまずは日々悪夢にうなされるようになり、不眠症、抑鬱、他者への恐怖感が次第に強まり、悲観的思考が強くなり、中学時代は10年後には死んでいると思っていました。事故の記憶を脳が自分で消してしまうのと似たようなものなのか、虐待時の記憶を脳内ですら一切想起不能となりシャットアウト。少しずつ言語化して認識できるようになっていったものの、記憶を脳が「あれは虚偽の記憶なんじゃないか、脳みそが勝手に捏造して作り出した虚偽の記憶なんじゃないか」と思いこむようになり、そう思うことが自分でも異常だと感じる、けれど、そう思う思慮も消えず。「虚偽記憶と思いこもうとする思慮」が、記憶回路の異常なのかそれとも他の何かか、謎を解きたくなり、母親の携帯で自分で調べ始め、自分の身に起きたことが“ノットアウェイク(意識がハッキリしていない状態の意)での虐待”という客観的情報を知る。まさか自分が生きてきて「虐待」という、非現実的すぎる出来事に遭遇するとは思ってもおらず、それを虐待と呼ぶのだということも当時は知らず、全て事実認識をしたものの、ショックのあまりぼんやりした意識で右手首の爪で左手首を「死ねばいいのに」と自分で切り付け続けるぐらい病んでしまい、10代後半はおぼろげで記憶があまりありません。音楽は元々好きで、中2でゴス『FRENZY』に出会ったのを気に一気にR&B嗜好が開花。翌年にはSkoopファンになり、以後、彼らの新譜やラジオを命綱にはいずるように生きてきました。2007年初夏、SkoopのライブDVDに大好きな曲が入っているのを発見し、なんとかゲット。観て“歌ってるタケさん”の姿に惚れて、「この人を観てみたい」と思ったことが全ての転機。同年冬のキャンペーンで後姿をみて「この人に着いていきたい」と思い、帰宅して聞いた(当時はサテライトではなかった)ラジオ局でメールが採用されていて1節「Happy Birthday」を歌ってもらっていたのを聞いた瞬間、胸の当たりがぐわぁ~~っと熱くなり、なんでも出来そうな気になり、「この人に着いていきたい」が「この人についていこう」に変化。その歳の暮には「いいかげんこんなん生きててもね」と自殺するはずだったのが路線変更。このもらったパワーのお礼がいつか言いたいという理由で生きることを決意。1人、静かに動きはじめ、携帯を買い、こんな自分でもなんとか出来そうな仕事探しはじめ、5年の隠居を経て、ハタチ数ヶ月後から人生180度変わりました。記憶の異常は心理学でいう防衛機制で、記憶の解離をしていたの一種であると分かったいまでも消えないし、いまだ表情の堅さ、失語症めいた状態を残しつつも、そこからSkoopを筆頭に、元々好きだった方など、いろいろな好きなアーティストを興味の赴くままにLIVEの予定を命綱で突っ走っています。しかし2010年、同じ過去を持つ新人がそれを公表して障害枠で現れ、その甘やかされまくりな扱いと厳しく言われまくる差(その子の変わりに怒られることも多々)に自分が社会復帰以後頑張ってやってきたことの意味を疑いはじめ、徐々にあれこれいろんなことが不安になり、翌2011年、震災の報道映像で交感神経の過剰反応…ストレスが爆発したのか、ついにパニック発作を起こし、以来、視覚的に目立つ(デカイ文字や踏み切りや看板などコントラストの強い色彩色合い等)を見ると恐怖感を感じるようになり、電信柱の下部の黄色と黒が多数ある道で耐えられなくなり町中で過呼吸倒れ、自ら精神科に電話。かれこれ数えてみれば虐待から10年経ってようやくの初診。「よくこれだけ治ったね」と言われつつも、未だこの永続的に影響を与えるというPTSD…心理的・神経的傷跡を残しつつもを引きずりながらも生きております。兄の帰省時に (もう何されるでもなくなにも思わなくとも) やはり心理的には打ち勝てても動物の本能か、交感神経が過剰反応するようになり、人生初の引越し後という慣れない環境も災いしてか、2012年1月に痙攣発作と呼べそうな状態の反応を起こし、リボトリールも処方。9月に再び帰省してきて、けいれん止め(リボ)2錠でなんとか手足の筋肉の異常な力の加わり程度で抑えられたが、そこを境に日中に突然意識はハッキリとあるのに身体の力が抜ける謎の脱力発作と日中の異常な眠気に見舞われるようになり、2012年後半は謎の意識障害に苦しみつつ、でも前年からようやく行けるようにもなってきた関西へもしっかり遠征もしました。(笑)2013年1月、前年暮れからの多忙もあって、ついに目が覚めず、オーバードーズと共に職場をドロップアウト。自殺未遂を起こすも、身内は何も察さず…。死に損ない、残り金で通院していたものの、底をついてきて、しかし遊び散らかした5年が本当に楽しかったおかげで自分の人生に悔いがないのと同時に、どんなに気持ち的に乗り越えても動物の本能である脳が覚えた危機感はまだ危険信号を出し反応することに、虐待の傷は消えないんだなぁと実感させられてしまいたこともあり、どこか自分の人生に悲観的になっていた。まぁ、どちらでもいいかな、と思い、大本の元凶はバラさず、症状だけを開示。そんなわけで精神科に入院。5年遊び散らかした充電期間…のはずが、逆に入院生活のあらゆることがストレスに。濃すぎる急性期閉鎖の思い出を背に、開放病棟へ移るも悲観視は消えず、階段から落ちたり、食べちゃいけないもの食べたり、夜中に病院から消えたり、片手を越える数もの自殺未遂を繰り返し、たくさんの方のお世話になりました。精神科1年半入院を経て、退院後は1人暮らし。様々あったのち、現在はFX運用と障害年金である程度の自由を手にしてますが、解離やフラッシュバック等のメンタルヘルスは永続的。なんとか音楽を糧に生きてます。脳内で事実認識に数年、音声化に3年、仲間内にだけ伝えることが出来るようになるまで10年、そしてこうしてオンラインにプロフィールとして直接的な言葉を書けるようになるまでに12年。今でも「あれ」等と直接的な言語を避けたり、声が出なくなることもありますが、好きなアーティストと遭遇もし、遊び散らし、いじめ被害も虐待被害も、楽あり苦あり。現実は残虐なもので、けっして感動的な和解という終結ががあったわけでも、ありそうな気配もなく(苦笑)、地元では被虐の事実は超トップシークレット (まして、虐待に私が気づいている、ということを兄が気づいてない可能性すらある。)で病院関係者しか事実を知らないという状況まま通院しつつ、好きな音楽とライブが命綱に生きてきました。
テーマ: LIVE
音楽レビュー
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