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------------------------------------------------------ブサイクは夢を持ってはいけない、、、------------------------------------------------------4畳半二間の大阪のボロい公団住宅で生まれ育ち、歌を歌うことが大好きだった2歳の頃の私は、ある日母に「将来は歌手になりたい!!」と言いました。母から返ってきた言葉は「お前はブサイクだから、歌手にはなれないよ。だからとにかく勉強して教養を身に着けなさい!」素直だった私は「そうなんだ」とすっかり諦めてしまい、ただ、母にいわれるがまま、たくさんの習い事に通うようになりました。そして、「自分はブサイクだから仕方ない」何かにつけてそう思うようになりました。----------------------------------------------------------きれいになりたい!!----------------------------------------------------------「容姿の美しさがダメなら、知性美を目指す」という母の作戦が功を奏し、小学校に入ると、勉強もスポーツも成績優秀で、いじめられることもなく、周りからは一目おかれる存在となりました。何をやっても人並み以上にでき、特に悩み事もなく過ごしましたが、中学生になると私も人並みに異性の目を気にするようになり、同級生で気になる男の子ができました。そうすると、忘れていたあの言葉が頭に浮かんできました。「自分はブサイクだから・・・」ただ、ある程度成長した私は、諦めるのは嫌だと思うようになり、なんとか努力してきれいになりたいと、中学2年生の時に初めてダイエットに挑戦しました。何の知識もなく安易に初めてしまったダイエットがこの後、長年の苦しみにつながるとも知らずに、、、単純に食事量を減らし、激しい運動をするダイエットでどんどん体重が落ちていき、周りから「痩せたね」「きれいになったね」と言われることが嬉しくて、楽しくなりました。初めて、見た目を褒められることへの快感を味わいました。--------------------------------------ダイエットという禁断の扉---------------------------------------成長期の無理なダイエットのため、生理がとまり、低体温でかなりの冷え性になりましたが、見た目を褒められるようになったことの喜びの方が強く、全くことの重大さに気づきませんでした。そろそろ高校受験の準備をし始める中学2年生の3月、学校から帰ると父からの1枚の置き手紙を見つけました。「旅に出ます。探さないでください。」父はギャンブルで多額の借金を作り、自分ではどうしようもできなくなり、ひとりで逃げたのです!毎日消費者金融からの鳴り止まない取り立て電話のコールや家に取り立てにくる恐いおじさんに怯える日々が始まりました。そして、借金取り立てのストレスと受験勉強のストレスを食べることで紛らわすようになりました。ダイエットで食事制限をしていた我慢の糸が切れたため、その食欲はハンパなく、一日5食以上をお腹いっぱい食べる日々・・・。食べずに痩せた体の吸収力もハンパなく、ものすごい勢いで太っていきました。私になるべく負担をかけないように、一切泣き言を言わずに父の借金の取り立てへの対応をがんばる母になんとか喜んでもらいたかったため、受験勉強は必死でがんばり、大阪で一番の進学校に入学することができましたが、受験が終わった頃、体重は15kg増となっていました。高校に入学して2ヶ月が経った頃、突然全身に発疹し、特に顔が大きく腫れ上がりました。最初に訪れた病院では原因が分からず、大きな病院で精密検査を受けたところ、国の難病指定の「膠原病」であると診断されました。その診断を受けた時の母の絶望した表情は今でも忘れられない程ですが、父のことで苦労をしている母にとても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。それ以降、学校の体育は見学、日焼けしないように夏も常に長袖、毎月検査のために通院する生活。体の冷えが酷く、体温は常に35度台前半、常に体がだるく、集中力も途切れるようになりました。担当の医師からはあまり疲れることはしないように、と言われ、ただ、学校に通うだけの毎日。「病気だから仕方ない。」と、活動的なことは何も出来ず、「太っていてブサイクだから仕方ない」と、恋愛も諦め、暗い高校生活を送りました。大学に入学する時、学力が及ばず、私立の大学にしか合格できなかったのですが、母は「お金はなんとかするから気にせずに通いなさい」と言ってくれました。その時、せっかく授業料を出してもらうのに、高校と同じように暗い生活を送るのは申し訳ないと思い、大学生活は目いっぱい楽しんで、卒業時には母が安心できる職業につき、母を喜ばせたいと思いました。大学は真面目に授業にも出、部活も楽しみ、充実した生活を送ることができ、卒業後は某独立行政法人の採用試験を倍率100倍の中、合格し、初めて母を喜ばすことができました。社会人1年目から、仕事が楽しくないな、と思いながらも、まあ、こんなものなのかなと、何も考えないように過ごしました。お金は人がやりたくないようなことをしなければもらえないものだ、そんな風に思っていました。月曜から金曜は我慢して仕事をし、土日は遊びに出かけて気を紛らせる。そんなごく平凡な毎日を過ごしました。ところが社会人3年目のある日、勤務時間中に母から電話が入りました。変な時間の電話に嫌な予感がしましたが、出てみると「父が自殺した」との連絡でした。中学2年の3月に家を出て以来、一度も会わなかった父と結局一度も話すことなく、火葬場で遺骨となった父と再会することとなりました。母と二人だけではあまりにも気の毒だと、伯母と従姉が駆けつけてくれ、たった4人だけの寂しい葬儀を済ませ、母と二人、父の実家のお寺に遺骨を納めに行きました。家を出てからの父がどのような生活をしていたのかはわかりませんが、いったい父の人生は何だったんだろうと考えました。もちろん、私の父がもっと普通の父親で、ちゃんと仕事をして、家族の生活を守ってくれる人であれば、母も私も苦労をせずにすんだのに!!と思ったことは数知れずありますが、何も話せなくなってしまった父の姿を見てしまうと、恨みよりも虚しさに襲われました。どんなダメな父親であったとしても、父がいなければ私はこの世に生まれてきていません。たくさんの人に迷惑をかけてばかりの父であったけれど、ただ、迷惑をかけて疎まれるだけの存在として終わってしまうのはあまりにもかわいそうに感じたのです。だから、私が父が存在した証として、何か人の役に立つことをしたい!そして、絶対に幸せになってやる!!と心の底から思いました。----------------------------------------------------------勇気を振り絞った行動からの運命の出会い----------------------------------------------------------では何をするのか?人の役に立つことはすぐには思いつかなかったため、まずは幸せになることを考えました。30歳を過ぎているにもかかわらず、彼氏いない歴=年齢 の記録を更新中だったため、まずは彼氏を作ることを目標にしました。そこで、ふと、全身鏡に写った自分の姿を見つけました。まじまじとみたところ、お腹のお肉はだるっとパンツの上にのっかり、お尻もだらんと垂れている、、、さらに鏡に近づいて髪の毛をかき分けてみると、大量の白髪が!!顔は吹出ものとニキビ跡で汚く、お肉もたるんでいる、、、まずはダイエットと若返りしなければ!!そこから、私はたくさんのダイエット法を片っ端から試していきました。ゆでたまごダイエット、りんごダイエット、フルーツジュース断食、野菜スープダイエット、高額のエステにも通ってみたり、東洋医学的なエステにも行ってみたり・・・。その他、スポーツジムにも通ったり、ヨガやピラティス、ウォーキング、骨盤矯正、整体、なども試しました。ところが、何をやっても体重は1kgも減らなかったのです、、、「30歳を過ぎると痩せにくくなるというのは本当だな。あきらめるしかないのかな」と諦めかけていた時、インターネットでとあるセミナーの告知を見つけました。「運命のパートナーと出会う方法」を教えてくれるというかなり怪しいセミナーでした。1日のセミナーで受講料は3万円。それまで、自己啓発セミナーなど全く受講したこともない私にとってはかなりの高額。そして、何より題名が怪しい!けれども、その時はそれが何故か気になって、このまま何もしないのでは何も変わらないなと感じ、勇気を振り絞ってセミナーに参加してみたのでした。セミナーは全く新しい世界で、目からウロコの話がたくさん聞けました。新しい知り合いも増え、とても楽しく、参加してよかったと思える内容でした。そして、セミナーが終わるとすぐに、紹介された本を購入し、そこに書かれていることを実践してみました。何を実践したのかというと、その日気になったこと(やろうと思ったこと)を10個書き出し、それをできるだけ実行してみる。1つでも実際に行動できれば、その日の終りに自分自身を褒めてあげるというものでした。すると実践を初めて10日程経ったバレンタインデーの日、その日にやりたい事のひとつとして、ある本を読んでいたのですが、その本との出会いが運命の出会いでした。それは「マクロビオティック」というライフスタイルの本だったのですが、そこには私がやりたいと思ったことがすべて叶えられる「食」に関する知識が書かれていました。この本は今でも過去読んだ本の中でもっとも感動した本としてあげられ、もっとも号泣した本です。私はその時すぐにこのマクロビオティックの知識を伝えることによって、世の中の役に立つんだ!と決意し、翌日には大阪に会ったマクロビオティックのスクールの説明会の予約をしていました。---------------------------------------------使命感に燃えて飛び込んだ世界-----------------------------------------------説明会に参加し、すぐに入学を決め、その時からあらゆる物事の最優先事項をマクロビオティックの勉強としました。マクロビオティックを勉強し始め、そこで学ぶ食事法を実践し始めてから3ヶ月後、ふと体重計に乗ってみると、8kgも減っていました。あれだけ何をやっても痩せなかったのに、特に苦労はなく食事をしているだけで簡単に痩せてしまい、何をやっても治らなかったニキビもなくなり、肩こりなどもすっかりなくなり、全く疲れない体になっていました。あまりの効果の凄さに、ますますマクロビオティックの勉強にのめりこんでいきました。そして勉強を始めて1年ほど断った頃には基礎クラスの講師デビューもできました。マクロビオティックの食事はどれだけたくさん食べても太らず、適正体重まではどんどん減っていくし、体はどんどん健康になっていく、この素晴らしい食事を多くの方に伝えたい!ところが、その気持ちがどんどん強くなっていくにつれ、周りからはどんどん受け入れてもらえなくなっていきました。特に男性からは全く受け入れられなかったのです。人の役に立ちたい、幸せになりたい、そういう思いで行動し、やっと見つけた方法でしたが、逆に孤独となり、幸せになれる気がしなくなっていきました。そうすると太らなかったはずのマクロビオティックの食事をしているのに、どんどんとまた太っていきました。-----------------------------------------------すべてを捨てて新たなスタート!-----------------------------------------------マクロビオティックの講師をするために、会社をやめていたので、経済的にもとても苦しく、すべてがバカらしくなり、講師をやめ、マクロビオティックとは全く関係ない仕事をするために、東京へ引っ越すことにしました。東京生活をスタートさせてからはマクロビオティックの知識はベースにするものの、なんでも好きなモノを好きな時間に好きなだけ食べる生活を送っていましたが、全く太ることはなく、周りからは「ナイスバディですね!」「お綺麗ですね!」と褒められることが多くなりました。ダイエットを気にすることなく、楽しく食事をすることで、自分らしく美しく輝けるようになったのだろうなと思っています。自分自身で努力して美しさを手に入れたことで、自信がつき、どこに行っても、素敵な人から声をかけられる、素敵な人を紹介してもらえるようになりました。また美味しいご飯をごちそうしてもらえたり、なにより、素敵な彼氏ができました!!素敵な方との出会いからお仕事も紹介していただくことができ、経済的にも自由になりつつあります。ブサイク、貧乏、不健康だった過去の私では考えられないような楽しい毎日を送っています。今では多くの女性のその人らしい美しさを最大限引き出し、愛と自由を手に入れるサポートをすることが私自身の使命だと感じています。
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