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「子どもの気持ちがわからない」 から心理学を学んだ19年の経験と波乱万丈な人生を生かし、子育てに悩む母親の応援活動を開始。かけおち結婚、出産、夫のDV、破産、離婚と破天荒な人生を反省し、子どものためにと一心不乱に働くも、息子たちの非行に、生きるすべを失い思い悩む日々を重ねる。その後、心理学との出会いをきっかけに自分の人生を見つめ直し、新たな人生をスタートさせる。1999年、エンライトメント心理学創始者永田兼一氏に師事し、仕事に明け暮れた人生をやめ、心理学に没頭する。2003年、学友と心の学び場「mother earth」を設立。ヒーリングワークショップやクリスタルボウル演奏会、セラピスト養成、カウンセリングなどを提供。愛と親密感、つながりを深める情報発信基地だった「mother earth」での活動は、独立した現在のヒーリング活動の原動力となっている。2008年、心は身体に、身体は心につながっていることをボディケアをとして学び実践し、日本ボディセラピー協会を設立。2011年、求職者支援事業の一環「エステティシャン養成講座」で心と身体ケアの講師としてセラピスト育成活動のほか、「自分を輝かせる」セラピーに力を注ぐ。2015年、今後の活動の中心を「育母セラピー」~母道を究める~を掲げ、「子育ては母育て」の草の根活動を開始する。2018年 心と身体の健康活動の拠点として、いやしカフェAn-mama-yaを開業。いやす人いやされる人が気軽に集まり、居心地の良い、ほっとする空間を提供していきたいと試行錯誤中。 ■ヒストリー…育母セラピー活動までの道のり■1 心理学に出会うまでの私思春期の私は、毎日、毎週、毎月、毎年が、同じように繰り返される平和で平凡な生活に飽き飽きしていました。ドラマティックな人生を夢見て、いつかこの生活から抜け出すと思っていました。周りに猛反対された結婚を機会に、私の波乱万丈な人生が始まりました。父親とは正反対、「自分中心、やりたい放題」の彼にあこがれ、家を出て、2人の息子をもうけましたが、彼の会社の倒産、DV、借金、非常識な夫、結婚生活は6年で裁判離婚しました。母子家庭になった私は、夜も日もなく一心不乱に働き、「まずお金を稼げていることが両親を安心させる」と思った私は、毎月、母にお金を持っていきました。子どもたちには、「人に迷惑をかけないように、周りから愛されるように」と、口を酸っぱくして育て、子どもたちは、本当にいい子で私を助けてくれましたが、それは小学生の間まででした。世に言う思春期を迎えると、息子たちは変わっていきました。学校に行かない、ルールは守らない、遊びに行って帰ってこない…。何を考えているのか、まったくわからなくなっていきました。「なんで?学校行かないの?」「なんで人並みのことができないの」「なんで母さんのいうことがわからないの?」どうしてよいのかわからない私は、スクールカウンセリングを受けたり、精神科に行ったり、よい占いの先生がいるといえば尋ね、お払いが良いといえばお願いし、自己啓発に子どもを連れだしたり…、ありとあらゆる「よい」と人が言うことに次々と足を運び、子どもを何とかしなくてはと、もう、仕事も手につかなくなってきていました。息子たちは、高校生活ができませんでした。自分の子育てへの後悔は深まるばかり、なぜ子供たちには、私の気持ちがわかってもらえないのだろうと、苦悩の日々でした。2 転換期次男が中学3年生のとき私は、PTAの学年部の部長をされていた方の紹介で、エンライトメント心理学創始者の永田兼一先生に出会いました。先生との出会いは衝撃的でした。「子どもを追っかけるのをやめなさい。自分を輝かせなさい」と。父親から、「親は子どものためにできることをしてやるのが親だ、子どものレールは親が引いてやらなくてはいけない。」と教えられていましたのに、永田先生は、真反対のことを言われたのです。「ふらふらして落ち着かない子どもを手放して、自分の好きなことをしていいの?」半信半疑のまま、永田先生の21日間のバリ島ワークショップに飛び込み、私の心理学三昧の始まりとなります。「人生を変える大きな決断」でした。10年間続けた自営の仕事をやめ、職を失うことでもありました。それから数年間、私は心理学に没頭しました。今までの私の観念は次々と覆されていきました。知らない世界を体験しました。疑いや反感を覚えることも多数ありましたが、それでも学び続けていたのは、今まで知らなかった見方考え方によって、私の心がどんどん楽になり、毎日がワクワク楽しかったからだと思います。(1)安定した穏やかな日々いつしか息子たちへの心配は薄らいでいました。心友というのでしょうか、年代を超え、本気でぶつかり合うことができる気持ちが通い合う仲間ができていました。2003年の春には、学びの仲間たちと「mother earth」を立ち上げ、心理学を基盤にした「愛とつながり」を広げる活動を始めました。そしてそれは、わたしの仕事になっていました。私が、『愛』『絆』『家族』などをテーマに1day、2dazs、4daysワークショップを作っていたそのころ、気づくと息子たちは、バンド活動で『感動』『友情』『仲間』などをテーマで、1day、2days、3daysライブを作っていました。出会った時永田先生が言った「あなたが輝けば、子どもたちは後からついてくる」と言ったことが現実になっていました。息子たちは、学校へ行っていませんでしたが、自分なりに夢を掲げ、アルバイトをしながら自活していました。私も息子も、それぞれが自分のしたいことをやる日々を送っていました。私は、自分の心理学人生に集中していました。カウンセリング技術やヒーリング技法を学ぶトレーニングをサポートしていきました。悩んでいる方々や未来の希望を広げたい方々のために、相談にのりました。セッションを企画し、イベントを作り、多くの方々と関わっていきました。(2)ボディセラピーの取り組み時代は、20世紀から21世紀へと移り、物の時代から精神の時代へと移行し始めていましたが、『カウンセリング』と言っても、「病気じゃないから」「お金を出して相談するの?」とまだまだ一般には受け入れづらい時代でした。どうしたら、普通の人でも心理学に関心を持ってもらえるのか考えていくうちに、ボディケアで人と触れ合うことで、人が胸の内を語り始めることに気付きました。これは、自分の得意とするものとなり、2008年には、日本ボディセラピー協会を立ち上げ、心と身体を癒すボディセラピストの養成も始めました。3 変化への覚悟(1)父との別れ学び始めて10年がたった冬のある日、父からこんなことを言われました。「家族よりも優先して没頭するあなたのお仕事はどんなことをしているのですか?」と、父の言葉で、わたしは、自分のことばかりで、家族を置き去りにしてきたことに気付きました。しびれをきらした父が、私の胸の内を聞こうと、近づいてきてくれたのだと思います。それから私は、家族の在り方を見直し、両親との時間をできるだけ多く過ごすようにしました。(近頃気がついたことですが、我が家では、自分の気持ちを語らないという習慣がありました。10年ぶりに帰ってきた私に、父も母も、昨日もそこにいたように、何気ない話をしてきました。バリ島に黙って21日間行って帰ってきたときも、その辺の温泉にでも言ってきたかのように何も聞きませんでした。そんな、父が、父から問いかけてくれたのです。)次の年の春が来て、桜の花が散り四月の末、父の余命宣告を受けました。実感のないまま、夏を迎えたある日、父は静かに旅立っていきました。10年間音信不通で、いきなり二人の子どもを連れて帰ってきた。こんな私を父は許してくれていたのだろうか。私は、ついにその答えを聞くことができないまま父を見送りました。あっという間で、ものの2か月半という短い闘病生活でした。 父を亡くしてからの私は、想像を絶する悲しみに襲われました。親不孝な私はどうしたら許してもらえたのだろうか…父は、私が学んでいたことを認めてくれていたのだろうか…父は、私のこの生活を喜んでくれていたのだろうか?「家族よりも優先するあなたのお仕事はどんなことをしているのですか?」父の問いかけが私の頭の中で繰り返されました。「このままではいけない、もっと形にしよう、父に恥ずかしくない人生を築こう」と、私の自立心が動き出しました。2010年12月、その年を最後に、mother earthを管轄していた、師匠の会社を退社。私は独立しました。(2)求職者支援事業への参加心と身体の両面から癒したいとすでに日本ボディーセラピー協会を立ち上げていた私は、そこに力を注ぎました。2011年1月から、国の制度の基金訓練の中で、ボィセラピスト養成講座と、ストレスケアの講座を開講しました。基金訓練が求職者支援と変更した今もその活動は講座講師として続けています。講座では、ボディケア技術と共に心の在り方の大切さを伝えています。人の身体を癒すには、相手の気持ちを理解していかなくてはいけない。相手の気持ちが理解できるには、まず、自分自身を理解できていなければいけない。私は「自分を知る」を根底に、心と身体を癒せるボディセラピストを育成しています。こうして、私は、学んできた心理学を、現実社会で生かしていく意識が高まってきました。(3)自分がやりたいことは何か?「子どもの気持ちがわからない」からはじまったカウンセラーへの道は、確実に広がってきています。長男は、26歳で大学に進むと水を得た魚のように、自分の性に合っていたのでしょう勉学に没頭し、ロースクールを首席で卒業。現在は、伴侶も得て、司法試験に再度邁進しています。次男は、結婚し5年目、奥さんのサポートを得ながら二人三脚で『似顔絵描き』として本来持っている才能を輝かせ、家族(妻と息子)と豊かな生活を送っています。たとえこれから二人の息子に試練がやってきたとしても、彼らは自分の人生から逃げることはないでしょう。私たちは、悩みや苦しみや葛藤が、夢に進む近道だと言うことを知っているからです。そんな私に、かつて共に学び働いた心友の活躍が耳に入るようになりました。二人の友は、自分の個性を明確に打ち出し目を見張る活躍をし、更にまだ学びを高めていました。ある日一人の友が目に涙をいっぱいためて言いました。「なんでそんなにぐずぐずしていられるの!あなたを待っている人がたくさんいるのよ!あなたがうごくだけで多くの人が救われるのよ!」目から鱗でした。長い間、心を解いてきた私でしたが、自分の仕事にそれほど使命感を持ったことはありません。「もっと、できることがある。」「私にも、できる、いや、やらなくては。」私は、心理学を学び始めたきっかけになったあのころの自分を思い出していました。4 志命「もう生きている価値さえない」「何を言っても子供たちに通じない」「死んでもいいかも」と思っていたあの頃…15年たった今、私は、強く優しくなりました。この素晴らしい息子たちを、理解できずに否定していました。これはすべて私の無知(知らなかったこと)のためです。心理学の学びと私の生き方を通して経験してきた全てのことに誇りを持てるようになった今、私は、行動しなくてはいけません。私と同じように、思春期のお子さんを持ち、「どうしたらいいの?」となすすべを失い深く悩んでいるお母さん方に伝えなくては。「子どもを追っかけるのはやめなさい、自分を輝かせよう」メディアでは、親子の殺人、友人間の殺人、いじめや非行を通り過ぎて、子どもたちはどんどん壊れていっている。こんなことが起こらない世の中にしていきたいと強く感じています。そのためには、まず、お母さんたちを助けなくては。母親としてできることは「子どもを変えるのではなくて自分が変わることだ」と。5 ビジョンお母さんたちが、自分に自信を持って子育てができたら、子どもたちのどんなことも受け入れていくことができるのではないでしょうか?子どもたちは、可能性の宝庫。無限の才能を持っている。アイディアがある。ひらめきもある。想像します。夢を膨らませます。行動します。ワクワクした創造性が働き新しいものがどんどん生まれていきます。イキイキしています。そんな子供たちが集まって、自分の個性を思いっきり発揮します。お互いの才能を引き立て合って、更に夢は広がり可能性は膨らんでいきます。新しい若者が作り出していく未来が開けていきます。そんな子どもたちが自由にのびのび育っていく家庭を作ってほしい。そのために、お母さんたちに気付いてほしい。お母さんの力を。お母さんの役目を。お母さんが元気で、美しく輝いていたら、家族みんなも元気になります。やる気が湧きます。私はそんなお母さんを応援します。心と身体の両面からお母さんをサポートし、美しくきらきらと輝くお母さんを応援します。そのために私と同じような志を持つ仲間を作ります。心と身体を癒せるセラピストを育てていきます。世のお母さんたちを元気にして、才能を思う存分発揮できる子どもたちが育った社会は、愛と平和に満ちています。お互いがお互いを認め合い、愛し合い、絆が深まっていくコミュニケーションとれる社会を目指しています。私は、それぞれが作るそれぞれの母道を究めていくために、育母セラピーを提供していきます。育母セラピーは、お母さんが癒され、学んで、自分だけの母親としての道を究めていくことをサポートするものです。
テーマ: ブログ
自己啓発・カウンセリング
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