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ご挨拶 (vol.1-20200731-)私、橋本宏は、よわい79歳になる今年、生まれて初めて本を出版することになりました。友人たちから、外務省時代の経験、特に普天間飛行場の返還問題や沖縄県民の米軍基地負担軽減問題を巡るいろいろな体験を本にまとめるよう強く勧められ、この5月下旬株式会社時事通信出版局から「普天間飛行場、どう取り戻す?―対立か協調かの選択肢」を上梓しました。また、SNSの機能をよく知る友人たちの助言に従い、老骨に鞭を打って、このたび、拙著の紹介などを含む私のブログ、沖縄米軍基地問題に関心を持つ方々との意見交換用のツイッターの二本立てで、拙著のフォローアップをする決心をしました。私は、ポーランドを舞台に独ソ戦争が始まった1941年6月22日、当時渋谷区恵比寿のビール工場前にあった父母の家で生まれました。空襲警報が鳴るたびに真っ青になってすくんでいたそうです。その後大学を卒業し、1964年に外務省に入り、2004年まで勤務を続けました。その間、1996年2月、アメリカ西海岸のサンタモニカで開かれたクリントン大統領との首脳会談に臨んだ橋本龍太郎総理大臣のおともをした際、往路の政府専用機の中で、橋本総理の口から出た「普天間を言うんだよね?」という言葉を直接聴いたことが、普天間・辺野古問題に私が関わるきっかけとなりました。また、2001年から2003年までの約2年間、沖縄担当大使として那覇の外務省沖縄事務所に勤務し、日米地位協定の運用の現場に身を置きました。こうした経験を踏まえ、拙著では、普天間・辺野古問題の経緯・分析にとどまらず、政府と沖縄県に対し、現状打開のための現実的な提言を入れています。出版社に最終原稿を郵送した後の5月7日(木)午後11時過ぎ、岡本行夫君が新型コロナウイルスに罹って4月末に亡くなっていたとの報道がNHKテレビで流れ、驚愕しました。岡本君が書いてくれた拙著の「帯」の原稿が確定したのが、3月下旬か4月上旬の初めの頃だったこともあり、あの元気な岡本君が死去するなど、予想すらしていませんでした。岡本行夫君は、湘南高校、一橋大学及び外務省の「同窓」で、私の4期後輩にあたります。面識を持つようになった外務省時代以来、肩書なしで、お互いにただ「岡本君」、「橋本さん」と呼び合う仲でした。私が沖縄担当大使の頃、岡本君は沖縄担当の総理大臣補佐官でした。沖縄県の米軍基地負担軽減問題について、共に心血を注ぐことのできる後輩が総理官邸にいることで、心強い思いを深くしました。赴任直前、彼は何人もの県内関係者を紹介してくれました。そのおかげで、那覇着任後、比較的短期間のうちに、公人以外の多くの人たちにも会って、基地問題について生の声を聴き始めることができました。比較的若いときに外務省を岡本君は、民間人になってますます活躍し、私たちの在外勤務地にもしばしば出張してきました。妻は、同君と話をするたびに、「岡本さんって素敵で尊敬できる人」と毎回評していました(注)。このような岡本君との縁(えにし)もあり、時事通信社出版局から拙著を上梓するにあたって、私は拙著の「帯」は岡本君に書いてほしいと強く願い、今年の2月初めに同君に連絡を取りました。超多忙も厭わず、快諾してくれました。岡本君が写真とともに送ってきてくれた「帯」の推奨の言葉「『沖縄の基地負担軽減は国民的課題』、現実的な論考を重ねて、『本土並み基地負担減』を訴える出色の一冊。沖縄問題を正しく理解するための必読の書。」は、結局、沖縄問題についての同君最後のメッセージになってしまいました。岡本君は、高齢になった私がなお沖縄米軍基地問題の進展に闘志を燃やしているとして、敬意を表してくれました。一方、「橋本龍太郎、小泉純一郎、鳩山由紀夫、菅直人各内閣時代、同君が環境保護に十分意を砕いた普天間飛行場代替施設の設計に関わり、実現に尽力した。しかし最後は政府部内の一部からの反発に遭い挫折した」、「普天間・辺野古問題を巡る構図は、政府、沖縄県いずれにとっても敗北だ。自分は権力に潰された」といった文言を並べて私に送ってきたメールは、「挫折感」と「虚無感」が漂うものでした。いずれその辺りの事情を詳しく聞き出して、私とともに再び沖縄米軍基地問題に携わることを勧めるつもりでしたが、それも今では叶わぬ願いとなりました。岡本君の死は、政府、沖縄県双方にとって、返す返すも不幸なことです。私は、一人の年金生活者ですが、本土並みに米軍基地負担を軽減して欲しいという沖縄復帰当時の県民の強い願望を叶える一助となることで岡本君の果たせなかった遺志を大事にしたい、と強く思います。政府と県が協調することの重要性を繰り返している拙著のメッセージが、何らかの形で、関係者の心にまで届くことを願っています。私は、中庸と保守主義を尊重する人間です。普天間飛行場の全面返還とその代替施設の辺野古への移設・建設の問題は、1972年の沖縄復帰に際して県民の願った「本土並みの米軍基地負担」を実現していく今後の過程において、漸進主義、実務主義の観点から、妥当な解決を図っていくとの立場です。この点は拙著で詳しく説明しています。新型コロナウイルス感染問題を巡る政府と自治体の相互努力を目の当たりにして、米軍基地負担軽減問題についても、政府と沖縄県は対立から協調へと路線を変えていくことができるとの印象を強くしています。この点については、今後ブログの中で詳しく展望していくつもりです。(筆者注)妻は、岡本君と話す機会があるごとに、「岡本さんに見習って、人に接するときは、少しは感じよくなさい」と私に述べていました。このような助言に関わらず、私が那覇に着任早々、名護市議会代表による要請に際し、大変な無礼をしでかしたいきさつは、拙著で取り上げています。
テーマ: ブログ
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