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市川誠一郎プロフィールメインスポンサーHCA法律事務所ケイズハウス A.L.I technologies 片野大輔1984年5月18日生まれ、横浜出身。開成中学高校、東京大学卒業。契約ウェア、庭球人。契約ラケット、HEAD。通信制高校、神村学園神奈川テニスアカデミー元非常勤講師。アメーバ公式ブロガー、男性アスリート部門最高2位(写真はポスター)。1、 25歳からのテニス学生時は本格的な音楽活動を行い、大学時は芸大講師に師事し作曲家を志す。2009年、勝負の世界で自分の可能性に挑戦したい、という思いから決心し、大きく転身。25歳、初心者の状態から世界トップを目指す前代未聞の挑戦をスタートした。周囲には本気にされなかったが、1年間独自で毎日起きてから寝るまでテニスコートにいる生活をして猛練習を積んで準備した後、2010年、全日本王者を始め数多くのトッププロを育てた実績を持つコーチの指導する選手アカデミーに入門。周りは全員実績のあるジュニア選手たち、門前払いされても仕方ないレベルだったが、真剣さを買われ、コーチに拾っていただいた。家庭教師の仕事をして活動費を捻出しながらの選手生活を開始。当然、選手の中でも一番下手で怒鳴られ続ける毎日、選んだ道の厳しさを痛感、あまりに大きな差、成長の見えない日々に全く光の見えない時間が5年近くも続いた。だが自分で決心した道。誰よりも努力をして追いつくしかないと、年の近い平下コーチと二人で毎日追加練習をして差を縮める努力を続けた。 それが実を結び、2014年、JSC主催、東京オリンピックに向けた才能発掘プロジェクトにて最終候補に残り、NHKニュース番組、YAHOOニュースやスポーツ新聞など各メディアに掲載。ウェアブランド庭球人と用具提供契約を得た(〜現在)。そこから技術的な変化が僅かに見え始め、国内ツアー大会に出場を再開。勝利をあげるようになり、徐々に差が縮まっていることを感じ始める。2、 450万円のスポンサーを獲得して1年間のスペイン修行2016年、テニスを始めた当初より検討していたスペインでのトレーニングを決断。1年間のトレーニングに必要な資金を得るため、自身のブログとSNSを中心に友人、地元地域など身近なところから応援してくれる人の輪を広げ、各方面に支援を募る活動を展開。その結果、完全に無名の選手だったにも関わらず80人、10社以上から必要となる資金450万円以上のスポンサーを得ることに成功。またHEADの用具提供を受けるようになる(〜現在)。2016年4月から1年間、日本代表ダニエル太郎選手が所属するスペインのテニスアカデミーTenis Valにて練習を積んだ。元世界ランク1位サフィンを7年に渡り指導したラファエルコーチなどの指導を受けた。ダニエル太郎プロにも応援してもらい、ダニエル家の家に住ませていただきながら練習をした。滞在期間中は、土日、他の選手が全員オフの日や、昼休みも一人で練習。あまりの練習量に当時はお前は病気だと言われたが、真剣さが伝わり徐々に応援者を増やし、アカデミーのコーチ達や清掃スタッフにまで支援の輪を広げた。スペインでの様子は地域メディアに多く取り上げられ、帰国後は講演も行った。世界ランカーと数多く練習する機会を得る中、彼らが決して手の届かない天才などではなく、基礎の積み上げの先にある、追いつける相手であることを実感。一方で彼らと戦うためには根本的に技術不足が依然かなり大きいことも理解した、2017年4月に帰国。国内ツアー大会を戦うが、最高戦績は世田谷オープン3回戦進出に止まり、スペイン渡航前の公約を達成できず。遅くから始めた差を埋めることができなかったが、それでも全く諦めることはなかった。3、 日本での再出発、技術の構築スペインで感じた土台の基礎技術を構築するには、ヨーロッパより日本でのトレーニングの方が適していると判断し、日本での再出発を決めた。スペインで知り合った大西賢プロの紹介で相模原市クリエイトテニスアカデミーを知る。際立って技術指導に優れたコーチと出会い、ここで基礎技術の構築ができると判断した。再びヨーロッパで挑戦するため、海外ツアー大会で戦える実力を身につけることを目標に、具体的戦略を考え共に歩んでいけることを確認し、クリエイトを拠点にトレーニングを積むことを決断。2017年秋より、同アカデミーが通信制高校、神村学園神奈川テニスアカデミーの指導を開始。非常勤講師という立場ながら、生徒と一緒に練習しながらプレーヤーを引っ張る実質キャプテンという役割で参加。全力で挑戦し努力する姿をジュニアに見せ、価値を生み出した。毎日、日中は神村学園でトップジュニアと練習、夜はアカデミーの強化チームで、他の選手の倍近い練習量で努力を重ね、差を縮める。相模原でも地域から知られ、応援してもらえる選手になるよう各企業、メディアを訪れ活動。地域店舗にポスター掲載。相模原名産の養鶏業など、地域企業からのスポンサーをいただけるようになった。そんな中、新しい拠点での技術練習の成果が表れ始め、2018年4月、日野オープンで国内ツアー大会初の準優勝。クリエイトで3年弱のトレーニングを積み、競技を始めて10年が経過。遅くから競技を始めることの難しさは想像を遥かに越え、身体の使い方や技術の習得は難航を極めた。だが10年に渡って積み重ね努力を続けた結果、2018年末から自分の技術が土台から変わり始めたことを実感。やってもやっても変わらないことに苦しみ続けたが、ついにやった分だけ出来るように変化。各技術で小さなブレークスルーを繰り返し、遅咲きを極めたが成長循環に入った。2019年後半ついに基礎技術が一通り出来てきたこと、テニスに対する俯瞰的な理解ができてきたことも実感する。クリエイトで3年間取り組んだことが成果として表れた。技術が整ったことで練習相手はプロ選手まで広がり、人との繋がりも急激に広がった中、様々な準備が整ってきたタイミングでコロナ流行。全ての活動が一度ストップしたタイミングだったが、僕は今こそチャンス、今が再度環境を再度大きく変え、ヨーロッパに渡航するチャンスと判断。渡航の準備をしている中で、日本ジュニア代表本田尚也のコーチとして3週間セルビア渡航し、僕はそのままヨーロッパに残って選手活動しても良いというオファーをもらい、即渡航を決断した。4、 再びヨーロッパを拠点に活動、飛躍的な成長2020年9月よりヨーロッパを拠点に再度活動を開始。2016−17年に渡欧した時より遥かに成長し、ヨーロッパで戦う準備ができた状態でヨーロッパに戻ったことをすぐに実感する。2018年ヨーロッパ遠征で知り合った選手の紹介でセルビア人コーチ、マルコと出会う。信頼できるコーチだと判断し、マルコとトレーニングを開始。12月まで3ヶ月間セルビアを拠点に練習、マルコの指導が自分にすごくフィットして、依然残っていた大きな技術的問題だったフォアハンドの癖を一気に解決。驚くほど変化が見られた。同時にセルビアで多くのコーチ、選手との繋がりを得て、世界ランカーと練習する機会も増えた。2020年12月からヨーロッパ周辺の国際ツアー大会に半年以上毎週連続して出場する。2020年12ー2021年2月 トルコ2021年2月ー5月 チュニジア2021年5月ー6月 ギリシャ大会期間中も出場選手と練習するトレーニング期間として考え猛練習を積んだが、この決断がハマり、更に成長することができた。あらゆる選手、コーチに声をかけて誰より繋がりを増やし、常にコートにいることで大会会場では誰より練習する選手として殆どの選手や大会関係者に知られる存在になった。努力と情熱が伝わり、まだ実力差があるにも関わらず、大会会場ではこれまでとは飛躍的に高いレベルの選手達、各国代表レベルの選手と毎日練習してもらうようになった。大きくレベルを上げると同時に、仲間の輪は国際ツアー大会を回る選手全体に広がった。非常にいい循環で練習を積み、渡航前の10年間の苦労が嘘のように順調に成長。2021年1月 国際ツアー大会で初勝利。一通り国際大会で経験を積んだのち、拠点のセルビアに戻る。2021年6月ー7月 セルビア2021年7月ー8月 ドイツ国際大会期間では多くのトップ選手と毎日練習し、より高いレベルに順応することが出来たが、着実に強くなるためには、強い選手と打ち合うだけでなく、より自分に近いレベルの選手と多く実戦経験をたくさん積み、競った試合や勝つ経験をする必要性を実感。国際大会後の期間は国内大会、リーグに連日出場し、より多くの試合経験、また自分のプレースタイルで勝ち切る経験を増やし、これまで積み上げてきた基礎技術に実戦スキルを大きく上げる期間にした。この期間でも、すぐに多くの人と繋がりを作り、・ セルビア名門クラブに毎日ヒッティングパートナーとして呼ばれる・ 来年以降ドイツのリーグでプレーするオファーをもらうなど、特にセルビアでは毎日様々なコーチやクラブに呼ばれるようになる。5、 大きく広がる繋がりと新たな可能性こうしたヨーロッパでの経験を求められ、日本人選手を中心にヨーロッパの大会帯同コーチ業務を依頼されるようになる。自分の練習を同時にさせていただく条件でこうした帯同業務も並行して行い、スポンサー資金で足りない分の資金を確保している。僕が持っている他のテニス関係者にない経験、ヨーロッパでの多くの繋がりを生かし、帯同コーチ業務として僕自身の生き方をジュニア、プロ選手に伝えている。2020年9月 ジュニア日本代表選手2021年2月−3月 プロ選手2021年7月−8月 ジュニア選手2021年8月−9月 プロ選手2021年10月 ジュニア日本代表選手2021年9月ー 海外ジュニア選手フルタイム2022年1月 ジュニア日本代表選手帯同期間中でも、仕事をこなしながらも多くの選手に声をかけて各試合会場で練習を積み、女子のプロ試合会場でも唯一猛練習している男子選手として知られ、多くの選手からヒッティングパートナーとして指名されるようになった。こうした期間も単なる資金補填の仕事として過ごすだけでなく、様々なレベルの選手とヒッティングし、自分の選手活動にプラスになる期間として最大限活用し、力に変えている。2021年9月からはオランダにて長期労働ビザ取得をサポートいただく条件で日系ジュニア選手を年内フルタイムのコーチ契約を行い、コーチ活動と並行してオランダを拠点に練習、試合出場をした。これまでEU圏内のビザ無し滞在期間で滞在に制限を受けてきたが、ここで2年間の長期ビザを取得することで、今後EU圏内全ての国で無制限に滞在、活動できるようになる。これにより選手活動の可能性は大きく広がった。オランダではアムステルダム最大の有名クラブでトレーニングを積んだ。ここでも誰よりも練習することで多くのコーチに応援してもらえるようになり、多くの選手を紹介され十分な練習を積んでいる。引き続き自分に近いレベル、国内大会での経験を積み、実戦スキルを一つずつ向上させた。この期間で実戦スキル、勝つ経験も揃ってきたと実感し、2021年末から2022年3月までチュニジアにて国際ツアー大会に再び連続参戦。この期間中も誰よりも練習する選手として会場中に知られるほど練習してレベルを上げ続ける。帰国前になって、これまでずっとコテンパンにされてきた出場選手に対してコンスタントに競った試合や勝てる試合ができるようになるなど、ついに結果が変わりはじめ、これまで遥か彼方にあった彼らの背中が急にが見えたり届くようになった。これまで積み重ねた10年以上の形に表れなかった努力が成果に表れはじめ、ついにテニス選手として最高の時期に入った。選手たちと全力で戦いボールを打ち合う中で心通わせること、テニスを通じて世界中に人々と繋がること、他の選手と違う歩みをしてきた人生、生き方、価値観を多くの人と触れ合わせること、多くの方に応援していただくこと。自分の好きなこと、決めた道に対して何の躊躇もなく全ての力を尽くして生きることがどれだけ幸せなことか。本気で考え努力し、全力で進み続ける人生、そうすれば生きる道など自ずと開ける。その最高な人生を世界中の人に伝えていく。数多くの個人サポーター、企業からのスポンサー支援によって選手活動をする。相模原名産、養鶏農家の昔の味たまご農場様からスポンサーなど、地元地域から応援される選手として、相模原市内の地域名産企業からのスポンサー、多数店舗でのポスター掲載、講演活動、地域新聞での記事掲載などメディアで活動を紹介されている。当初誰にも相手にされなかった新しい挑戦を継続し続け、25歳から世界トップのプレーヤーへ、誰も成したことのない道を築き上げていく。
テーマ: ブログ
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